高カロリーな人
みすず旅館の調理場で一人悪戦苦闘する男がいた。 まるで難解な禅問答を前にしたかのように男が真剣に眺める本には。 『乙女心と秋の空? ノンノン☆これで彼女のハートはゲットだぜ!』 そんな安っぽいアオリ文句の隣に挿絵付きで更にこう書いてあった。 ― 誰でも簡単、チョコチップクッキー ― トラップは皿の上に乗せられたクッキーの出来に満足しながら腰に巻いたエプロンを外した。 「へっへー、おれってやっぱ天才?」 背後の散らかり様を見たらパティシエならずともツッコミをいれるであろう。 台の上は小麦粉で真っ白になり、オーブンはススで真っ黒になり、 使用されたボゥル各種や器具は流し台に放置されたままで、何故か魚の頭が床に落ちてたりもする。 それらは視界に入らないのか、愛する女性への贈り物を手にしてそれどころでないのか。 ダンスのステップでも踏むかのような足取りでトラップはキッチンを出た。 と、そこで呼び止める二つの声があった。 「とりゃー、もうできたぁ?」 「できたんデシか?」 ルーミィとシロである。 「おう、おめえらか。 どした?」 今ならどんなにでも優しくしてやろう、とトラップは思った。 「そのクッキーちょうだい」 「だめだ」 それだけは別だ、とトラップは思った。 ルーミィは不満げに頬を膨らませて抗議した。 「じゅるーい! さっき、いい子でまってたらくれるっていったお!」 トラップはレシピを前にして悪戦苦闘している最中に乱入してきたルーミィ達にかまっていられず、 適当にあしらっていた事実をおぼろげに思い出す。 ―「とりゃー、なに作ってうの?」 ―「あー? このなんたらクッキーだよ。 くっそー・・・・このオーブン、壊れてんのか?」 ―「ルーミィも手伝ってあげおうかー?」 ―「いらんいらん。 温度が上がればいいんだよな、じゃあこうすれば・・・・」 ―「それじゃ、いい子でまってたらルーミィにくれる?」 ―「ああ、やるやる。 あっち行って静かに待ってな・・・・で、よしっ!」 ―「うわーい、やったあ! クッキー、クッキー♪ しおちゃん、いい子でまってるんだお!」 ―「げげっ、煙! やべっ、火ぃ噴いてやがる!!」 「ああ、そんな事も言ったような」 「らから、ちょうらい」 手を突き出すルーミィの頭を、トラップは軽くポンポンっと叩いた。 「わりぃな。 これはやる奴が決まってんだ、後でな」 トラップは一人と一匹の間をすり抜けて階段を駆け上がって行った。 ぽよぽよっとした眉を寄せたルーミィは、鼻歌交じりのトラップの後姿を不審そうに見送った。 「やるやつが、きまってる・・・・?」 「パステルおねえしゃんデシかねえ?」 つぶらな瞳をぱちくりとさせるシロにルーミィは決然と言い放つ。 「しおちゃん、これはゆゆしきじたいらお」 柄にもなくノックして扉を開けると、パステルは原稿の推敲をしていた。 トラップは、パステルが顔を上げるより先に、皿を背中に回した。 「あら、トラップ。 どうしたの?」 普段ならばノックなどせずに勝手に入ってくるというのに、という軽い疑念が込められていた。 トラップは『これで彼女のハートをゲットだぜ!』という雑誌にあった言葉を思い出しつつ、 何でもない風に装い背中に回したままの皿を持ってない方の手で、机上の原稿のそのまた隣を指した。 「それ、ルーミィにか?」 ほんわかしたサーモンピンクの毛糸でできたそれは恐らくルーミィへのものだろう。 執筆中の気分転換にでも編んでいるのだろうか。 パステルは頷いて編みかけのマフラーを広げて見せる。 「うん、寒くなってきたからルーミィにいいかなって」 トラップの思ったとおりマフラーの行先は銀色ふわふわチビッコ魔女だった。 もちろん、「トラップにいいかなって」とは言わないとは分っていたし、 自分に対するマフラーがサーモンピンクであったらパステルからのプレゼントであれ考え物だったが、 それでもトラップはルーミィに対して嫉妬に近い気分を抱いた。 だがしかし。 こちらには乙女ゴコロをゲットする切り札があるのだ。 ぽよぽよんとしたチビッコ魔法使いがいくら母性本能を刺激する可愛さを持っていようとも、 決して負けをとるまい、いや、負けてはならないのだ、バラ色の未来を得るためには! うさんくさい雑誌のアオリ文句も今のトラップにとっては森羅万象、真実の言葉に他ならなかった。 トラップは背中に回していた皿をパステルの前に突き出した。 「これ、やるよ」 やはり少々照れくさいので顔を見ることはできなかった。 パステルの反応を待つトラップの中ではめくるめく甘い展開に飛躍する。 『トラップがわたしのために? 嬉しい! 実はわたしトラップの事が』 できたら実はルーミィ用のマフラーの前に編んでいたマフラーを取り出すような設定で。 夢見る少年なんてそんなものである。 「・・・・これって、旅館のお皿でしょ? 勝手に持ってきちゃダメじゃない」 簡単に予想通りの甘い展開にいくわけがないとはトラップにも薄々分っていたが、 皿に注目するというのは天然ボケもいささか過ぎるというものであった。 「おめぇ、どこ見てん・・・・」 トラップは照れ隠しも含めた文句を言いかけて絶句した。 そこにあったのは空っぽの皿だった。 部屋を見回すと、いつの間に部屋に来たのかルーミィとシロが口をむぐむぐ動かしているではないか。 トラップの視線に気付いたルーミィは動じるでもなく、にやりと不敵の笑みを浮かべた。 あんたなんかにわたしのパステルを渡しやしないわ。 瞳がそう物語っていた。 「ルーミィ、てめえ!」 トラップはルーミィを追いかけようとしたが。 ガチャリ 急に扉が開き、危うくドアと正面衝突するところだった。 ギリギリ衝突を回避できたのは敏捷度の高いトラップ故であろう。 「ただいま。 頼まれてた物、買ってきたよ」 入ってきたのは買出しに出かけていたクレイとキットンだった。 人が増えた事で更に告白への道は遠のいた。 もうこりゃ諦めろってことかい神様、ちくしょう。 トラップは半自暴自棄になりつつ近場のベット(つまりパステルのベットだが)に倒れ込んだ。 しかし誰一人としてトラップに目を向けていなかったりする。 パステルはいそいそとキャンプ用の食器を取り出す。 「ありがとう! 原稿やってる時ってなんか甘い物が食べたくなるのよね、なんでかしら?」 早速クレイから飴色に輝く梨のタルトを受け取りながら言った。 疑問を聞き流すはずもないキットンがケーキの箱の下からにゅうっと現れた。 「甘い物といいますか、糖質を要求してるのではないでしょうか。」 また始まった、という部屋中のメンバーの呆れた空気を気にせずにキットンは講釈を始めた。 「糖質と言いますのは1g当たり4kcalのエネルギー源となって血糖として体内を循環し、 必要時にエネルギーを供給してくれ、グリコーゲンとして一時的に体内の貯蔵されます。 単糖や少糖は即多くのエネルギーを補充したい場合に適す一方で多糖はエネルギーとして、 使われなかった血糖をグリコーゲンとして効率よく組織に貯蔵したい場合に適しているわけですね。 ああ、横道にそれてしまいましたが糖質を求めるというのは脳がエネルギーを求めているという事で・・・・」 キットンを除く誰もが右から左へと聞き流していた。 いや、律儀にも一人だけ。 「よく分んないけど・・・・グリコーゲンって何だっけ?」 昔、学校で聞いた覚えはあるのだけど、という表情でクレイが聞いた。 「冒険者に必要なのはグリコーゲン貯蓄でグリコーゲン貯蓄量=体力とも言われています。 そうですね、ファイターには必須ですよ」 「じゃあおれ、グリコーゲン貯めなきゃいけないのか」 クレイは感慨深げにまじまじと洋菓子の箱を見た。 「ぎゃっはっは。 いえ、わたしも専門分野ではないので聞きかじっただけなのですよ。 まあグリコーゲンとは・・・・いわば元気の素って事じゃないですかね」 「ふぅん、そうなんだー」 キットンとクレイの話を聞きながら、パステルはタルトを一口パクリと食べた。 「ううん、美味しい!」 「ぱーるぅ、ルーミィも!」 ルーミィはピョンピョン飛び跳ね、先程口一杯にクッキーを頬張っていたのも忘れてパステルにねだる。 「慌てなくてもいいよ、ルーミィの分も買って来てあるから。 ほらクリームたくさん乗ったやつ」 「シロちゃんにはモンスター用のクッキーを買って来ましたよ」 「このクッキー、モンスターの形してるデシ! キットンしゃん、ありがとさんデシ!」 「そうだ、ノルにも豆餅を持っていってあげましょうか」 賑々しく盛り上がる中、トラップはぽつりと尋ねる。 「・・・・おれには?」 何の気なしに聞いたものの、キットンとクレイは冷凍化されたように止まった。 「えーっと、その・・・・。 お前も、欲しかったか?」 質問で返すクレイの言葉はトラップへの菓子の有無を明確に示していた。 トラップは咎めるでもなく小さく溜め息をついた。 「・・・・いいよ、別に」 お土産リストに外れたからといって拗ねるほど子どもではない。 とはいえ、もの淋しいのに変わりはなかった。 「トラップ」 パステルの呼びかけに、トラップは返事をしないでそのまま寝ることにした。 不貞寝というやつである。 「まだ寝たわけじゃないんでしょ、トラップ」 再度の呼びかけにも沈黙で応じた。 「トラップ?」 沈黙。 「ねえ、トラップってば!」 パステルはやや怒っているようでもある声音でトラップの肩を揺さぶった。 「だああ、何だよ! ・・・・・・っ?」 起き上がったトラップの口の中に甘い甘い味が広がってゆく。 甘く砂糖で煮詰められつつも豊かな香りが残る梨の味が。 「ふふ、元気出た?」 悪戯っぽい笑顔のパステル。 トラップは口の端に付いたクリームを親指で拭った。 「まあ、ちょびっとは」 「そ。 よかった、トラップには元気でいてもらわないとね」 パーティの仲間には元気でいてもらわないと、の間違いだろうか。 一縷の希望を持たせるかのような言葉に、トラップは恐るおそる尋ねた。 「・・・・あんで?」 パステルは少し言葉に詰まって背後をチラリと見ると、クレイ達は菓子の分配に盛り上がっていた。 ルーミィはクリームたっぷりのケーキにするべきかチョコレートケーキにするべきかで悩んでいるようだ。 誰もこちらに目を向けていないのを確認したパステルはトラップだけに聞こえるようにこっそり囁く。 「だってね、トラップはわたしの・・・・グリコーゲンだから」 言ってからパステルは少し頬を染めてルーミィ達の元へ駆け寄る。 一口ずつ交換しよう?とルーミィに提案するパステルの手には残り半分になった梨のタルト。 トラップは口にかすかに残るクリームの梨の味に自惚れる。 チョコチップクッキーとは全く関係ないものの・・・・いや、クッキーを用いることもなく。 どうやら、彼女のハートをゲットできたようではあった。 それはそれは、どんな菓子よりも甘美な極上の笑顔を見せてくれた彼女のハートを。 オワリ |
『ギャグ系なんだけど、ほのかに甘いトラパス』 そんなリクエストをいただいたので甘い創作v 「甘…砂糖?」みたいな直訳思考はどうにかならんものか。 高カロリーなのはトラパスが互いにエネルギー源って事で。(ネタばらし) つなみさんといえばパステル親衛隊なルーミィ、 ルーミィにはトラップを阻止してもらわないと!と思いまして。(笑) でも、パステルガードは緩かったようで……。 ケーキにに目を奪われてちゃだめでしょ、ルーミィ! 海堂つなみさん、2000hitご申告&リクエスト、ありがとうございました!
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< 2002.12.02 up > フォーチュン・クエスト (C)深沢美潮/迎夏生/角川書店/メディアワークス |
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