鈍感の手引き
身支度を整えたクレイ=シーモア=アンダーソンは布団の塊に声をかけた。 布団の塊に見えたそれは彼の声に呼応してもぞりと動いたが、それだけである。 「クレイ、今のトラップに何を言っても無駄ですよ。後はパステルに任せましょう」 鞄を斜めに引っ掛けたキットンに言われ、クレイは考え直した。 昨日は早番から遅番までの仕事を終えて本日一日の休みを得たトラップである。 今朝くらいは充分な休養を取った後に早番に向かう自分達と生活リズムを同じくせずとも良かろう。 肩をすくめる彼は他ならぬ布団の塊の主におひとよしと言われた経験があった。 「仕方ないな。でも、荷物持ちは頼んだぞ」 再び布団の塊がうごめいて、布団の端からオレンジがかった赤い髪が覗いた。 「にもつだぁ?」 オウム返しの声は夢に片足どころか、夢からほんの片足を突き出しているだけのようだった。 よほど昨日の仕事がこたえたのかと一つ年下の幼馴染を不憫に思ったクレイだったが、 床に放置されたジャケットを拾い上げて香ったアルコールの匂いで一切の心配を打ち消した。 残るは寝起きの悪い幼馴染と自分はおひとよし過ぎるのだろうかという自己嫌悪にも似た気持ち。 「明後日行くクエスト用の買出し。今日はお前とパステルがオフだから頼むって昨日あれほど」 「あー…あ、あれな。わーったわーった」 めくれあがったシーツから生えた手はクレイとキットンを追い払うような仕草をした。 承諾すればこれまでの事実として責任を持って臨む幼馴染である……結果はどうあれ。 何となく、それ以上には責める文句が阻まれた。 「わかってるなら、いいんだけどさ」 漏れた台詞が自分で思った以上に悔しげなのはご愛嬌。 「まあ、男性陣がいない方がパステルには良いのかもしれませんけどね」 キットンは使い込まれた鞄を肩に掛けたまま、薬草の束を突っ込んだ。 その一方、手を引っ込めた布団の塊が静止し、クレイの頭上に疑問符が浮かぶ。 鞄を閉じて二つの意識の注視を感じたキットンはいつもながらの馬鹿笑い。 「何ですか二人とも。あんなでもパステルだって年頃じゃないですか」 「あんなって……さりげに酷いぞ、キットン」 「ぎゃはは、いや失礼。でもね、考えてしまうんですよ」 普段は我々が彼女の傍にいるでしょう。 だから、彼女を見初める男性がいてもおいそれと手出しできないのではないか、と。 言いながらばりばりっと爪をたてた頭は昨夜も湯水を通してはいない。 「パーティなんだから近くにいたっていいと思ってたけど、一理あるかもな」 「でしょう? 最近、娘さんらしくなってきたのは出会いを求めているからなのかもしれませんよ」 「そういうものなのか? おれにはよく分からないんだけど」 「性別の違いがあるんだから当然でしょう。ま、それはそれとして、もう出ないと遅刻ですね」 「げげっ! とにかく、ええと、まあその、パステルの邪魔しないように買出ししてきてくれよ!」 床を鳴らさないように駆け出たクレイとキットンであるが、いかんせん安普請なみすず旅館。 足音が過剰に響くのであまり効果はないようだった。 走りながらも玄関前の掃除をする宿の女将に向かって丁寧な挨拶をするあたり、 本人の自覚とは裏腹にクレイのマダムキラーたる所以の片鱗が伺える。 町はすっかり朝の活動時間を迎え、道行き交う人々は皆、仕事開始の準備に慌しい。 「クレイはそちらですね、わたしはこちらですので、これで」 お互い頑張ろうぜ、とスポーツマンシップ溢れるような言葉を言いかけたクレイは、 ふと先ほど、部屋を出る直前に見た布団の塊がまるで岩のように固まっていたのを思い出す。 薬屋へと向かいかけていたキットンを呼び止める。 「……一つ聞きたいんだけど、トラップの前でパステルの話を出したのって」 するとキットンはにやりと笑った。 「ええ、わざとですよ」 田舎田舎と連呼してはいるものの、シルバーリーブは村としては活気のある方だった。 まるで川のように人の流れの端は知れず、彼らも流れに身を任せることによって流れを作っていた。 その一人のパステルは伸びをしてクエストでは欠かさぬマントを宿に置いてきて正解だったと感じた。 「あー、いい天気ねえ。まさに買い物日和ね」 「かいももひよりらよねー。ぱぁーるぅ、ルーミィはチョコレートがほしいお。しおちゃんは?」 「おかしデシか? ボクは……モンスタークッキーがいいデシ」 小さなエルフと小さなホワイトドラゴンはまるで遠足に行くかのような物言いである。 彼らにとってはクエストとはその程度の認識なのかもしれない。 パステルは二人(一人と一匹)の願いを笑みをこぼして受け入れた。 「分かったわ。後でお店に行こうね。ほら、トラップもちゃっちゃか歩く!」 「へえへえ」 なんとも気のない返事をしてちんたらした歩みを速めるでもなく彼女らの後に続く。 気分は有給休暇を家族サービスに費やされてる男である。 荷物はまだ片手に収まって入るが、紙袋片手に買い物に付き合わされる姿など、まさにそのもの。 まだまだ盗賊としても男としても若い身空で家族サービスの気分を味合わなければならないとは。 しかし、そう悪い気分ではない証拠に小さく鼻歌を唄っていたりする。 「やあ、パステルじゃないか! こんな所で会うとは奇遇だね、買い物?」 ふいに彼の前、正確にはパステルの前に現れたのは彼らとそう齢の違わない男だった。 「こんにちは。あなたは、ええと……」 パステルが記憶を掘り起こそうとする傍らでトラップの眉間には見事な堀、もとい彫りが刻まれた。 記憶違いでないのならば、彼はパン屋の次男坊。 使いの途中であるらしいパン屋の次男坊にも、見れば買い物中の一団だと分かるはずである。 わざわざ引き留めてまで伝えなければならない用事とは一体なんだというのか。 次第に深くなる彼の眉間の彫は、パン屋の次男坊が拳骨三つ分飛び上がったのを見て止まった。 「ななな、なんだ、トラップもいたのかい?」 いて悪いか。 喉元まで出た言葉を押し留めたのは今朝方の会話が彼の脳裏を掠めたからだった。 鈍感だのお子様だのと評してはいるものの、その原因となるのは自分にもあるのではないか。 トラップを含むパーティという枷が彼女の自由を制限して学習の場を奪っているにではなかろうか。 無論、意図していたわけではないし、パステル自身が強く望めば障害になる壁でもない。 それでも針が突くような心持であるのだから全く責任が無いわけでもないのだろう。 ここは理解ある仲間として温かく見守ってやるべきか、とため息を一つ。 「何だよ、パステルに話があるんだろ。すりゃいいじゃねえか」 パン屋の次男坊は少し呆気に取られたものの、千載一遇の機会と解釈したようだった。 「はなし、話……そうだ。ねえパステル、来週あるサーカス公演を見に行かないかい?」 「わ、嬉しい! でも、6人分もチケットって取れるの?」 「いやいや、君とボクの2人でって意味で。あのさ、申し込んでるんだって分かってる?」 「は? 申し込みって、どこに?」 「だからね。ボクは君にデー……」 尚も喋りつづけようとするパン屋の次男坊の肩をポンと叩く者がいた。 「ちょーっと向こうで話し合おうぜ」 春の風より爽やかな笑顔を浮かべたトラップはパン屋の次男坊に有無を言わさず路地に連行した。 彼らの後ろではルーミィがパステルにサーカス来村の詳しい情報を求める声が聞こえた。 ずるり、と路地裏から這い出てきたトラップは盛大な溜息をついた。 彼の背後にある酒樽に覆い被さるように倒れているのは花屋の長男だった。 「うーんうーんどこが懇切丁寧な話し合いだー」 妙にはっきりとした寝言を言えるくらいである、しばらくすれば大事無く目が覚めるだろう。 「シルバーリーブの野郎共はどこかおかしいんじゃねえのか?」 トラップはうんざりと肩を落とした。 パン屋の次男坊に、あのようなどこが胸で背中か分からない所帯じみた女は止めておけと、 切々と言い含め、最後はのびて猫に踏み潰されてたのだが、トラップとしては言い含め、 戻ってみたら今度は乗り合い馬車の御者がパステルの手を取って熱く人生設計を語っていた。 御者とは顔見知りであるので、あのような鈍感で天才的な方向音痴の女じゃ苦労するぜと、 牧師の如く諭し聞かせ、御者は青痣を作って走り去ったが、トラップとしては諭し聞かせ、 戻ってみたら今度はこの村に滞在中らしい精霊使いの男が花束をパステルに差し出していた。 その後には村長の甥っ子、行商人、小説のファンとかいう男、そして花屋の長男と続いた。 要するに、とトラップは舌打ちをした。 決して認めたくはないけれども、そう考えれば全くもって単純な話になるのだ。 「俺はあいつに男が言寄るのが面白くねえんだ、もしかしたら惚れてるのかもな。でも……」 見上げた空は今の彼には恨めしいほどの快晴である。 何よりも恨めしいのは、パステルには先の面々の目論見がさっぱり通じていない点だった。 結局、鈍感なままでいさせてる最大の原因は自分ではないか。 先の面々の目論見が通じてないのは彼には都合が良かったが、これでは悪循環である。 「こんな風に、あいつの知らない所で話つけてる意味なんてあるのか?」 当然ではあるが、徒労が満ちた呟きに答える者はない。 ひゅんと強まった風はトラップから腹のあたりの熱をごっそり奪った。 遥か昔に立ち去ったと思っていた冬の爪あとのような、一陣の風。 通りの人々も薄手のマントの襟元を正したり首をすくめていて、その中にパステル達もいた。 トラップから溜息がもう一つ漏れ、彼は酔いを覚ますように首を振った。 「……相応しい男を見つけてやるまでは、なんてのは余計なお節介だよな」 「ちょ、ちょっと待て。それってオレはやられ損ってこと……?」 どうやら花屋の息子が目覚めたらしかったが、トラップは振り返ることなくそれを無視した。 決して重くは無いが確かとは少しばかり遠い足取りで彼女らの元へと向かった。 パステルはトラップに気付くや否や、頬を膨らませて憤慨した。 「もう、どこ行ってたのよ! 心配したんだから!」 トラップは腰に手を当てたままの彼女に仔細を説明してやれるほどバカ正直ではなかった。 だが、精神的疲労感が身体にまで影響を与えているせいかほろりと本音も零れた。 「おめえが迷子になった時のおれの気持ちが分かっただろ」 皮肉めいた言い方にパステルはぐうの音も出ないようであったが、すぅと表情が緩んだ。 「そうね。心配してくれているのよね。……いつもありがとう、トラップ」 「べ、別にだな、その、パーティの仲間として心配してやってるってだけだぜ」 思わず慌てふためいてびしっと指をつきつけたトラップはあらゆる意味でしまったと思った。 一方、どうしてトラップが慌てふためいたかなどつゆ知らず、 むしろ慌てふためいたなんて白昼の夢にも見なかったのはパステル嬢。 せっかく感謝してたのに、と桜色のリップでも引いたかのような唇を尖らせる。 「念を押さなくても分かってるってば。それより、あんまりうろちょろしないで頂戴よ」 なんだってこんな大の大人が手を焼かせるのかしらとでも言いたげな溜息までついて、 パステルは突き出されたままのトラップの手を取った。 それを見て目を輝かせたルーミィはぴょんぴょんと飛び跳ねた。 「ぱぁーるぅ、ルーミィも! ルーミィもおててつなぐ!」 「はいはい。手を離して遠くに行っちゃだめよ」 元気よく返事をするルーミィに、パステルは満足そうに頷いた。 そして半ば放心状態のトラップに向かっていたずらっぽい笑顔をみせた。 「トラップもよ。離さないでいてね」 それは迷子防止以上の意味はなく、あまつさえルーミィと同等の扱いである。 せめて2人きりの時に言ってくれたら、との言葉は彼の口より外に出ることはなかった。 怒りか何かで紅潮したトラップは軽くパステルをねめつけた。 「そんじゃあ、離せって言っても離してやんねえからな!」 パステルは怒りでも何かでも頬を紅潮させることなく、眉をひょんと上げただけ。 「何言ってるの。子どもみたいに拗ねちゃって」 「とりゃー、おててつなぐの好きなんらねえ」 「そうなんデシか。トラップあんちゃん、ボクとも手をつなぐデシか?」 畳み掛けるようなエルフとドラゴンの無邪気な発言を聞いたトラップは、 片手いっぱいの荷物を持ち直すついでに目頭をこすった。 何故か胸中に満ちる敗北感を彼らの前で見せて心配をかけるわけにはいかない。 「……いや、荷物あるから」 ハハハと声をあげての笑顔は、シロの目にもひどく力なく映ったのだった。 「お届け物、行ってきます」 クレイ=シーモア=アンダーソンはバイト先である武器屋の扉をくぐり出た。 今日の空模様はなんとも清々しく、クエスト中も続くかのように見えた。 天から地上に目を移してみれば、通りの向こうに明後日のクエストを共にする仲間達がいた。 迷子になるのを防止する為であろうか、皆して手を繋いでいるようであった。 ただ仲間の一人が、彼の幼馴染でもある仲間の一人が、ひどく打ちひしがれているように見えた。 まさか今朝方の会話が関係してるだなんて三文小説みたいな事があるわけないだろうけれど。 クレイは首をかしげたが、時間指定のある用事の最中であると自分に言い聞かせた。 時間に加えて配達人までも指定してきたお客に、研ぎたての包丁を届けねばならないのだ。 「……なんだか、迫力のある未亡人だったな」 思い出しながらミケドリアもさばけそうな包丁を持ち直して仲間達とは逆方向に歩き始めた。 勘が良いのだか悪いのだか紙一重の、不幸なのは間違いない青年の近い未来はともかく。 今日も今日とてシルバーリーブはおおむね平和であるように見えなくもなかった。 オワリ |
『惚れた弱みで不幸にハマる、報われないトラップ』 加えて、(手を繋いでいたら……)というリクエスト。 や、そりゃあ トラップに頑張ってもらおうとして当馬を用意しましたv そしたら嬉しい素敵なお返しをいただいちゃったりして、 エビで鯛を釣ったような気分になったものです。 桜 和希さん、33333hitご申告&リクエスト、ありがとうございましたv
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< 2004.05.17 up > フォーチュン・クエスト (C)深沢美潮/迎夏生/角川書店/メディアワークス |
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