コーヒーアロマ

 
 まるで しびれてしまったかのように

 泥門デビルバッツが賊学カメレオンズとの試合を数日後に控えた4月のある日。
 栗田の発案でパーティが開かれることになった。
「モン太くんが入ったし、セナ君と姉崎さんの入部パーティも流れちゃったでしょ」
 提案する栗田は既に両手両腕と首にまで菓子に満たされた紙袋をかけていた。
 善良の塊のような栗田であるが、強引でないというわけではないらしい。
 とはいえ、その場にいたセナ、モン太、まもりの三名は反対するでもなく、
急遽、練習後にささやかなパーティをすることとなったのだった。
 しかしいつぞやの二の舞にならぬよう教室で。
「ヒル魔、甘いの苦手だからね」
 机を動かす栗田の横に椅子を運んだまもりはそんな問題じゃないと思ったが、
善良の塊のような笑顔に曖昧に頷きを返した。
 雁屋のシュークリーム、マモノールのショートケーキ、SONSONのフレンチドックなどなど。
 どこかのカフェのバイキングかのように所狭しと並べられる。
 まもりはカップを並べるも、あるはずのものが見当たらずに小首を傾げた。
「あれ、お茶……。セナ、ポットは?」
 振り返り見ると、クッキーが宙を横切った。
 次いで、モン太が空中でそれをキャッチし、勢い余って教室の隅まで転がってゆき、
壁に激突してやっと回転は止まったと思うと、3人が見守る中、モン太は天を指差すポーズを決めた。
 どうやら無事らしいのを確認したセナは振り返ってタイムラグもものとせず飛び上がった。
「あっ! カップ以外はまだ部室に置いたままだ! 取ってくるよ」
「いいわ、私が行ってくるから。接待するのも主務の仕事」
 ね?とまるで母親が子に諭すように言うと、セナが何を言う前にスカートの裾を翻して廊下に出た。
 モン太は後頭部を抑えつつ満足げにぴょこりと立ち上がった。
「まもりさーん、おれのキャッチ見てました?」
「今思い切り普通に出てったよ。って、見てなかったの!?」
 吃驚仰天なセナの言葉にまたモン太も吃驚仰天した。
 ムキャアと驚く姿は何かの動物に酷似していたが、口に出すのははばかれた。
「くっそ、戻ってきた時にスーパーキャッチしてやるぜ! 練習MAX!」
「い、いや何もMAXでするものでもないんじゃ……」
 すっかりやる気なモン太はセナのツッコミも気にせず、鼻息荒く両手で顔を叩いて気合を入れた。
 セナはやれやれと肩を下げて溜息を吐くと、手に持った袋を開いた。
 先ほどモン太に投げたのと同じクッキーを口に放るとナッツの香ばしさと甘さが広がった。
 東洋堂のクッキーに舌鼓を打ったセナは栗田を見てクッキーをブバッと噴出した。
「モン太くん、すごい気合だねー。じゃあ行くよ!」
「よっしゃ! 栗田先輩、ドーンと投げてくださ……いいっ!?」
「わーっ! 栗田さん、ちょっと待……っ!!」
 モン太をめがけ、ロールケーキがドーンと1本丸ごと空を飛んだ。
 それなりに、教室は盛り上がっているようだった。


 扉際のスイッチをいれて部屋の明りを灯すと、目的のものはすぐに姿をあらわした。
 電気ポットのコードはコンセントにささったままで、緑のランプは沸騰済みであることを示していた。
 更に隣には普段、紅茶とコーヒーを淹れる品々を入れてある篭も出ていた。
 おそらくセットまでさせて、後で持って行こうとして忘れたのだろう。
「セナらしいわ」
 苦笑してコンセントに手をかけようとして、ふと違和感のようなものを感じた。
 部屋の中をぐるりと一周回した視線をカジノカウンター奥にぐいっと戻す。
 制服の緑が見えて覗き込んでみると、泥門高校に悪魔ありと謳われる男が背を向けて座っていた。
「ヒル魔く……!?」
 反射的に両手で自分の口を塞いだのは、彼が寝ているらしかったからである。
 ほ、と息を吐いて心臓の鼓動が戻るのを感じつつ、椅子にふんぞり返って寝ているヒル魔を見た。
 膝の上にはご愛用のノートパソコンが開いたままで陣取っている。
 スクリーンセーバーが稼動しているとなると、寝ようと思ったわけではなく、うたた寝なのだろうか。
 可愛い弟分のセナとはいえ、本来の主務としての腕は未熟だと思わざるを得ない。
 現在の泥門デビルバッツの運営はヒル魔によるところが大きいのだ。
 敵味方の情報収集、解析、更に自分自身の練習も欠かすことなく行うとなると……。
 単に夢のためでは括れない、彼の双肩にかかる重責のあまりの大きさを勘付かずにいられなかった。
「……悔しいけど、実力はあるのよ。手段が間違っているけれど」
 近くで見れば悪魔の所業を行うことの凄さがわかるのだ。
 下唇を噛んだまもりが開いた銀色の缶には、有名なコーヒー会社のロゴが踊っていた。
 逆立つ金髪を視界の端に留めたまま用意をしてゆく手つきは半ば夢遊病のそれに似ていた。
 別に、深い意味があるわけではなくて。
 TV番組で見たコーヒーの美味しい淹れ方を試してみたくなっただけで。
 フィルターの豆に湯をそそぎながら胸中で理由をつける。
 抽出して役目を終えたドリッパーを降ろすと、ふわ、と香りが広がった。
 カップをソーサーに乗せ、カウンターの上、ヒル魔が肩越しに気付くだろう距離に置いた。
 そこでまもりは新たな疑問を抱いた。
 ヒル魔がコーヒーに気付くのは、目を覚ますのはいつだろうか。
「冷めちゃうかな?」
 昔見た映画か何かのセリフではないが、冷めたホットコーヒーほどまずいものはない。
 しかも、まもりにはどうして飲めるのか分からないブラックだ。
 悪意などはなかったが、これではまるで嫌がらせのようである。
 美味しいコーヒーを淹れる実験台にしたようなものだし。
『オラ、この糞マネ!! オレ様に仕返しのつもりか!?』
 もはや法規を持ち出すのも無粋である銃でカップを粉々にする姿を想像してげんなりとした。
 今更、彼に従順だと思われなかろうが構いやしない、従順でありたくもない。
 しかし勘違いされるのはあまり快くはない。
 それならば何もせぬ方がいっそましだというもの。
 触らぬ神に、いいや、触らぬ悪魔にたたりなし、である。
 香る飲み物のコクよりもなお深く、まもりは溜息をついた。
「淹れ損ね。いいわ、誰も飲まなかったら私が飲むし」
 ソーサーごと引こうとしたのだが、ふいに手首に細長い指が絡んできた。
 まもりは思わず声にならぬ悲鳴をあげた。
 細長く骨ばった指の主たるヒル魔には、まもりが硬直したのはお構いなしだった。
 まるで分からぬ物を見るようにカップを見た。
「コーヒー……?」
 一方のまもりは呪縛を逃れたような心持でまばたきをした。
「砂糖もミルクも入ってないわよっ!」
 機嫌がどうこうという話ではなく寝起きで低い声のヒル魔に対して大声で先手を打った。
 ヒル魔が甘いものを嫌悪しているのではと思うほどに苦手であるのは知っていた。
 そして、まもりがシュークリームを筆頭に甘いものを好んでいることを……。
 いや、それを彼が知っているかは分からないのだが。
 胸中でそう訂正したまもりは一瞬だけを見逃した。
 まもりの見れなかった一瞬の表情の変化をさせた男は、次いで苦い表情を浮かべた。
「……さっさと糞チビ共のところに行けよ、糞マネ」
 同時に痛いほどに捕まれていた手首が解放される。
 ふいに胸中をよぎった物寂しさを、まもりは慌てて打ち消した。
 緊張が一気に解けてしまわぬよう奥歯に力を入れたのでよろめかないで済んだ。
「あなたに言われなくても行きます」
 ソーサーから指を引き剥がし、電気ポットのコードを巻き、ティーセットを持った。
 戸口に立つと、パソコンのキーを打つヒル魔を精一杯の怖い形相で睨みつけた。
 背中を向けているのだから表情をどうしようと意味を持たないと分かっていたが。
 そうでもしないと、いつもの調子を保っていられそうもなかった。
 カタタン、とキーボードを叩く音に一区切りがついたのを見計らって息を吸い込む。
「言っておきますけど、セナはデビルバッツの主務ですからね。変な名前で呼ばないで」
 大人しく聞くような男ではないと承知の上で、まもりにしては荒く扉を閉めた。
 カウンターの向こうでケッと毒づいたヒル魔が、コーヒーに手を伸ばしたのを最後に見た。


 完全に閉まった扉。
 それに背中をコトリと預けたまもりは大きく目を開いて、呼吸をした。
 深く吐こうと思った息は浅く震えながら唇から漏れ出てゆく。
 心臓はまるで階段を駆け上がった時のように胸を叩きつけている。
 捕まれた手首にまだぬくもりが残っているような気がした。
 いや。そんな生ぬるいものでなく、火傷でもしたように痛みすら感じていた。
「急に、起きるなんて……」
 反則だ。まったく反則だ。仮にもスポーツマンなのに反則だ。
 あのヒル魔のこと、きっと普段の仕返しに驚かせようとしたのだ。
 なんという卑劣な男、蛭魔妖一!
 ひとしきり感情を昂ぶらせたまもりは自然と膨らんでしまっていた頬をしぼませる。
 頭の熱を冷ますように首を振って、瞑想するように目を閉じる。
 驚かせるなんて何のメリットのない仕返しをする必要などなかった。
 コーヒーを淹れたのが仕返しなどであるはずがないように。
 視界を開いて見上げると、茜色の空に黄金の雲がたなびいている。
 まもりは眩しさに目を細めた。
「後で、カップを片付けに来なきゃね。ヒル魔くん、片付けるかわからないもの」
 もしもその時、ヒル魔が作業を終えていなかったら、おかわりをサービスしてもいい。
 仮にその時、甘味を抑えた菓子が残っていたら、ひとつふたつ添えてやっても構わない。
 そこまで考えて、まもりは自嘲した。
 何の確証もない馬鹿な思いつきで弾んだ気分になっているなんて。
 所詮はただの一方的な賭けみたいなものなのに、夢中になるなんて。
 しかも再び部室に戻った時にヒル魔の姿を見られる方に賭けているなんて。
「どうかしているわ」
 嘆息したまもりはポットを抱えて、夕陽の朱に染まるように駆け出した。

 収まりきらない鼓動と手首の熱に知らずのうちに笑みをこぼして。
 そう悪い考えでもないと思う賭けの行方を楽しみにしながら。
 有り得ないはずの甘く苦い何かが覚醒したように感じつつ。


 やがてソーサーが無いのに気付いた若い娘と、カップの中が空になるのを惜しむあわれな男が、
 ……どうなったかは、別の話。


オワリ


 
 
 
 
ひるまもリクで書かせていただきました。(もう片方の候補千のだでした)

アイシは普通に少年漫画としても面白くって大好きなので、
出来はともかく楽しんで書かせていただきました。
ご存知の方はどうぞルンバな歌を口ずさんでお読みくださいませ。
今更ですけど。キャプテンがルンバってアレですけど。(何てこと)

おおたじゅんこさん、50000hitご申告&リクエスト、ありがとうございました。

< 2004.11.28 up >
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