ハサミ後の真相

 
「ったく。 なーんで俺が荷物持ちなんかやんなきゃいけねえんだ」
 
 夕暮れにはまだ時間のある、シルバーリーブのメインストリート。
 抱えた紙袋を持ち直してトラップは嘆息した。
「じゃんけんで負けたんだから、ブツブツ文句言わないの」
 隣を歩くパステルに母親の様に諌められ、口をへの字に曲げる。
 そんな事、言われなくたって分ってらい。
 胸中で毒づいたトラップはなんとも無防備なパステルの横顔を一瞬だけ盗み見て、
周囲を伺ってから再度進行方向に視線を落ちつかせた。
 二人きりで歩いていようと、町の住人は冒険者仲間で歩いている以上の目で見ようとはしない。
 彼らと同年代の少年少女が少しばかり色めきたっているようではあるものの、
冒険者という彼らの預かり知らぬ世界にいる自分たちの流儀なのだろうと納得する気配がある。
 まぁ、実際にそれ以上の何があるというわけではないのだが。
 ただの荷物持ち以外のポジションを連想させてやや浮かれてしまう、己が腹立たしい。
 文句でも口にして、己に言い聞かせるでもしなければやっていられないではないか。
 酷く子どもじみている表情をパステルに見せぬ為に、トラップは歩調を速めた。
「髪、のびたね」
 ふいに背後からの言葉を受けて疑問の表情で振り返ったトラップであったが、
彼女の視線が己にあると知ると、後ろで括った自分の髪の事であると悟った。
 つまんでみると、確かにいくらか長くなったような気がする。
「そうだな、そろそろ切るか」
 トラップが髪を切るというのは毛先を切りそろえるという程度のものである。
 髪を切る頻度は他の男性メンバーの大概も似たようなものであるのだが、
彼らとの違いは、トラップの髪の長さはそのままにしていれば少しばかり鬱陶しくもあって、
日常の大半の場面において紐(リボン)で括るなどの作業を要しているという点だった。
 トラップは鼻先に持ってきた長くなった後ろ髪とパステルを見比べて、ふっと笑みを浮かべた。
 それは、まだ冒険者としての活動が始まる前のこと。
 
 
 * * * * * * * * * *
 
 その時はクレイは武器屋のバイトへ行き、キットンはルーミィを連れて公園に出かけていた。
 バイト前の昼寝から目覚めたトラップはいつの間にやら予備校から帰ってきて、
復習と予習にいそしむパステルの姿をぼんやりと眺めた。
 ふと、トラップは自分の髪によって狭くなった視界に気付いた。
「パステル。 おめえのバイト先に行く途中にある床屋、今日やってたっけ?」
 ベットからひょいと飛び降りたトラップの姿を、パステルは珍しいものでも見るかのように見た。
 寝ているとばかりに思っていたのだろう。
 そして、どこを歩いても軋むはずの床に音無く飛び降りる行為にも向けられたものだろう。
 文字を習うよりも先に錠外しの技能を叩き込まれていたトラップとは違って、
パステルにとって、盗賊に限らず、冒険者とはやや離れた存在であったようである。
 机に広げられた問題集に書き込まれたメモの半分はトラップにとっての常識であるように。
 それでも出会い当初には目を丸くして口をポカンと開けていたのに比べて確実に順応したと見える。
「ええと、今日は確か・・・・って、なんで?」
「床屋に飯を食いに行くわけねえだろ。 髪を切ろうかと思ってさ」
 椅子をガタンと鳴らして倒さんばかりの勢いで、パステルは立ち上がった。
「ええー! サラサラで綺麗なのに、短くしちゃうだなんて!」
 それなのに切るとは言語道断だと言わんばかりである。
「綺麗って、おめぇ」
 確かにもっと長くして切ればカツラの材料として売れる事もあろう。
 しかしパステルの言っている意味としては切る以前の問題だとでも言いたげである。
 トラップはその勢いに飲まれるように絶句した。
「ね、こうして束ねておけば?」
 いつのまにかトラップの後ろに回ったパステルは、赤い髪をまとめて手で留めた。
 音で表すならちょちょいのちょい、という手際のよさである。
 盗賊であるのに背後を易々と取られてしまったトラップはうざったそうにパステルの手を振り払った。
「うるせえなぁ。 髪を切るも切らねえも、俺の勝手だろ」
「そりゃそうだけど・・・・あ、それに、ほら!」
 アレ、アレよと言いながらもどかしげに人差し指を振る。
 妙に食い下がってくるパステルにトラップは一種尊敬すらしそうな程に呆れ返っていた。
 トラップにはそこまで髪に執着する理由が見えない、おまけに他人の髪だというのに。
 色恋沙汰の話だけではない、全くもって変な女である。
「願掛けにもなるじゃない!」
 トラップの胸中の評価へ文句を言うかのようにパステルはピシッと指を突きつけた。
「ハッ、願掛けだぁ?」
 小馬鹿にして鼻で笑うトラップであったのだが、パステルはコックリと頷いた。
 その表情は神仏に頼るという行為を一蹴しようとしたトラップには少々持て余すもので、
思わず、続くはずの毒舌を回らせるのにもためらせてしまう。
 トラップは頬に髪がはらりと当たってパステルが戒めを解いたと分った。
 パステルは実家から持ってきたというリュックサックを引き寄せた。
「神様にお願いしようってわけじゃなくて、絶対に叶えようって気になるじゃない?」
 これあげるからと深淵な森を思わせるリボンを差し出した。
 ほんの数瞬後、一本のリボンは手の中に収まった。

「まぁ、床屋代も馬鹿になんねぇしな」

 リボンを手にした人物は、そんな建前を口にした。
 
 * * * * * * * * * *
 
 
 視界の端にある深緑のリボンによって引き出されたトラップの回想は、
隣を歩く少女が疑問を口にして打ち切られることとなった。
 パステルは何故か笑みを浮かべている少年の後頭部に視線を投げて首を傾げる。
「ねえ、そういえば何で髪を伸ばしてるの?」
「はぁあ!?」
 パステルが首を傾げているのに一分の故意は見えなかった。
 ―――こいつ、自分で言った事をすっかり忘れていやがる。
 呆れと怒りでトラップの頬が震えたが、疑問を口にしたパステルにはその理由が分からない。
「ねえ、何で?」
 トラップは聞こえなかったのだろうかと再度繰り返すパステルをどつき倒したい衝動に駆られた。
 だからといって、わざわざ数年前の出来事を説明してやろうなんて親切心は沸き起こらないし、
理由そのものを教えてやる羞恥は耐えかねる。
 後者はともかくとしても、できれば彼女自身に思い出してほしいものではあったが・・・・・・。
「知りてぇか?」
 パステルは素直に頷いて、しかし交換条件なんて持ち出されやしないかと危ぶんだ。
「ううん、待って。 当ててみる」
 しばし虚空を睨んで小さく唸るパステルにトラップは呆れた。
 きゅうと眉根をひそめて思案する姿にそれは苦笑に変化したのだが、
このまま放っておいて宿で待つメンバーにでも尋ねられてしまうのは避けたいところである。
 第三者にまで首を突っ込まれてはたまらない。
「制限時間1分。 59、58、57・・・・」
 突然カウントダウンを始め、慌てたのは言うまでも無くパステルである。
「もう、待ってよ!
 ・・・・じゃあ、やっぱりそれなりに意味があるのね?
 その髪型が気に入っているのかなーって思ってたんだけど。
 まさか、髪型も先祖代々受け継がれてるってわけじゃないよね・・・・?
 あ、トラップってすっごい現実主義者だけど神頼みするかな?
 伸ばしてるっていうよりたまーに髪を切ってるから、ちょっと違うかもしれないんだけどさ。
 願掛けって手もあるじゃない?」
 パステルは次第に考えに集中していったものの、出題者の変化を見逃さなかった。
 短く息継ぎをして、口早に続ける。
「髪を束ねるようになったのは初めて会ってから正式にパーティを組むまでの間だったよね。
 そんな頃からの付き合いだもん、夢や目標の一つ二つは知ってる。
 長い間解かれていない難しい罠を解除して、まだ誰も目にしてないような財宝を手に入れるとか。
 でも、そういうのは自分の手で実現させるものでしょう?
 そうそう、ギャンブルの縁かつぎにしては手がかかってるから、それも除外ね。
 で、一人では叶えられないような願いじゃないかって思うの。
 うーんと、だから、例えば他人の意思が絡むような・・・・・・」
 と、自分で言いながらも引っ掛るものを抱いたパステルは口をつぐんだ。
 他人の意思が絡むような願いとは、一体どんな願いだろうか?
 トラップは分らなくていいと思いつつもどこか期待しつつカウントを進めた。
「・・・・1、0。 残念でした、時間切れ」
「え、もう? あとちょっとで分るところだったのに」
 トラップのどうだかと小さく呟いた声は届いたが、パステルは無視した。
「それで、答えは何? どんなを願掛けしてるの?」
「秘密。 俺、教えるなんて言ってねーだろ」
 しれっと言うトラップにパステルは頬を膨らませた。
 不満そうにしていたパステルだったが、確かに答えられなかったのは自分であるし、
そもそも願掛け内容というものは吹聴させるものではないのかもしれないと考えを改めた。
 とはいえ納得したからとて気にならない筈もなく、妥協案を持ちかけた。
「じゃあ、叶ったら一番に教えてね」
 それはパステルにとっては何でもないことであれども、
トラップにとっては思わず歩みを止めるほど意外な、反則技としか言いようのない提案で。
「んなこと言って、おめえ・・・・もし、5年や10年後に叶うような願いだったらどうすんだよ」
 なんとも複雑な表情でトラップは言った。
「ええ、そんなに時間をかけなきゃ駄目なの?」
「もしもって言ってんだろ。 5年や10年後にも俺の傍にいるってのか?」
 パステルは目を瞬かせて10年後という人生の半分以上も長い年月の将来という、
少々夢と現の混じりあったような時間を経た自分や目前の人物を想像した。
 1年先だってピンとこない部分があるのに、10年も先となると果てしなく遠くに思えた。
 けれどもパステルはなんとも気楽に首を縦に振った。
「うん、10年先もこんな風にみんなといれたら楽しいね」
 ・・・・そういう意味ではなくて。
 喉にまで出かかった訂正の言葉をトラップは強引に押し止めた。
 折りしも通りに人影はまばらになっており、彼らの声を聞ける距離には誰もいない。
 5年、10年先も同じように歩むとするための通過儀礼のひとつが目の前にあるかのような。
 トラップは急激に訪れた髪を切ることとなるチャンスを認めた。
「10年・・・・。 いや、もっと先、50年、100年、墓場の先までだっていいんだけどよ」
 急上昇する体温を下げるために深呼吸をひとつ。
 
 
 
「10年先も、俺のすぐ隣に――――」
「あ、思い出した。 髪を切るお金を節約するためだっけ」
 
 
 彼なりに一世一代の大勝負とばかりの意気込みで切り出した言葉に、
買い物袋を持った手と空いた手をぱちんと打ち鳴らしたパステルの言葉が被った。
 茫然自失としたトラップが見たパステルの見ているのは『バーバー・シルバーリーブ』の看板で。
 一瞬の間が空いた。
 パステルには痒いところに手が届いたような爽快感を。
 トラップには鳩尾に一撃を食らわされたような敗北感を。
 その一瞬を含む前後の数秒間は両者に分け隔てなく変化をもたらした。
 全く相反する変化ではあったのだが。
「もう、願掛けだなんて。 うっかり騙されちゃうところだったじゃない」
 文句を言いつつも、にこにことして朗らかに笑うパステル。
 所詮はトラップの言いかけていた言葉など普段のガキっぽい悪戯の何かだろうと決込んで、
パステルはサラリと流したに違いないと判断する以外なかったトラップ自身は、
朗らかパステルとは逆に不機嫌一色のまま無言で、止まっていた宿へ向かう歩みを再開した。
 パステルにもようやく事態の半分は飲み込めて笑いを引っ込めた。
「もしかして本当に願掛けだったの?」
 すっとんきょうな声をあげるパステルに悪意があるわけでもないが、それがまた憎たらしくもある。
 トラップは肩を上下させてわざとらしさが鼻につくほど大仰に溜め息をついた。
「髪を切った後で、教えてやらぁ!」
 半ばやけっぱちのようなトラップに、パステルは笑って悪かったという負い目と、
心からの激励を込めて、彼の肩をポンポンと叩いた。
 
 
「なんだかわからないけど、出来ることは協力するから。 早く叶うといいね」
 
 よもや、それが彼から涙をまじりの溜め息を引出させるとは夢にも思わないまま。


オワリ


 
 
 
 
『トラパスフィルター装着! トラップが髪を伸ばすわけ』
トラパシストのトラパシストによるトラパシストのためのリクエスト!

想像が貧困でして「願掛け」という、現実にしてる人は少ないのに、
フィクションでは何故か多いという、ありきたりネタを採用。

七瀬 和希さん、9900hitご申告&リクエスト、ありがとうございましたv

< 2003.06.06 up >
フォーチュン・クエスト (C)深沢美潮/迎夏生/角川書店/メディアワークス
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