君に夢中

 
「あんたも苦労するねぇ」
 
 同情的な言葉はむしろ状況を愉しんでいる気配を存分に含んでいた。
 目前に置かれたビアマグに手をつけて口の前に運ぶも、
それを運んできた女性が仕事道具たる銀のトレイを弄びながら浮かべる含み笑いが気に掛かる。
「何が?」
 美味い酒が一気に味を失いそうだと感じた青年が半ば嫌な予感を抱きつつも尋ねたところ、
看板娘は形の良いあごと目線で店のフロア中央を促した。
 その先にいたのは銀のトレイを持って照れながら話をするこの店の看板息子と、
やわらかく微笑んだ少女のあどけなさを存分に含んだ冒険者の女性。
 彼女は青年のパーティ仲間であり、出来の悪い教え子でもあり、更に付加えるならば……。
 いわゆる彼の恋人なるものでもあったりする。
 喧騒の中、彼女が何を話しているかは盗賊たる彼にしても完全に聞き取れるものでもなかったが、
看板息子の方は「そんな事ないですよう」などと大声で否定しつつも、まんざらではなさそうな様子。
 彼は心の中の”締めたるリスト”に看板息子の名を刻み込んだ。
 その様子をいくばくか察した看板娘は呆れたような溜め息をついた。
「……ルタには言っといてあげるから。いじめるんじゃないよ」
 我知らず殺気だっていたらしい。
 赤毛の青年は気にせぬ素振りで落ち着く為に冷たいビールを一口。
 クスリと笑った看板娘は青年の前に置かれたままの空の皿をトレイの上に回収した。
「なーんか、きれいになっちゃったからね。あの娘が目当てで来てるお客もいるんじゃない?」
 心底楽しそうに言う中には、その彼女と友人であるのが誇らしいという以外の何かが含まれていた。
 盗賊の彼は苦虫を噛み潰した顔で、スキルを無駄に発揮させ、騒がしいフロアを一瞥した。
 結果、はじき出された5人という数字は彼の敵と言うべき男性の人数である。
 うら若き(でもないのもいるが)男性のいかにもな視線が彼女に注がれているのだが、
注目を集めている対象の彼女だけはそれに気付いてなかったりする。
 以前に彼はさりげなく目を惹いていると言ったのだが、
注意を受けた彼女は「そんなのあるわけない」「ただの思い込み」だと苦笑するだけ。
 尚も食い下がると、終いには「からかわないでちょうだいっ!」と怒りまで買う始末。
 こうなれば自分がどうにかしてやろうと影で男性陣に注意したとて、
何とも思っていない当事者本人の了承のない場所でのそれは性質の悪い因縁に他ならない。
 にっちもさっちもゆかず、俺のだビームを目から発すると、数人は落ち着いてくれるのだが、
中には「はっはっは、君よりも僕の方が相応しいんじゃないかい?」なんていう強者までいたりする。
 今のところ実害はないので放置してはいるものの、気が休まるものではない。
「パステルから目を離しちゃったら大変よ?」
「……ほっとけ」
 赤毛で盗賊の青年、トラップはビアマグぐいっと傾けてビールを飲み込んだ。
 アルコールと共に愚痴のようなセリフも飲み込んだ。
 曰く、「そんな事、言われなくても分かってら」。


 リタ相手に会計と少しの雑談をしているパステルを待ちぼうけるトラップは、猪鹿亭の前で嘆息した。
 他のメンバーは多少二人のために配慮したのか一足先に宿へ戻って行った。
 真実の意味での公認をしてくれるというのは大変有難いものだったが、それでも出る溜息。
 きっとアレだ。
 気付かないうちに雷にでも打たれてしまったんだ。
 雷に打たれて、美的感覚だとかいうものが壊れちまったんだ。
 そうでなければ、多少はあちこち成長した様子が見えるパステルとはいえ、
スタイル抜群の金髪の美女という理想のタイプとはかけ離れた容姿の彼女に惚れるなどありえない。
 もしもそんな女だったら自覚もあって、こんな気苦労はないだろうに。
 ああ、何故雷に打たれたんだ俺。
 などと本人に聞かれたら平手打ちの一つや二つでは済まされぬ愚痴を胸中で呟く。
 と、そこに愛しく恋しく憎たらしい当の本人がポンと肩を叩いてきたのだから驚くのなんの。
「……どうしたの?」
 3メートルばかり飛び退った男を前にしたパステルは、やや気分を害しながら疑問を投げかけた。
 俺は雷に打たれた男に違いない説を語るのは命知らずだと判断したトラップは、
彼女から思い切り目をそらして「いやええと」と空を扇ぎ見ながら勝手に喋る口にまかせる。
 そういう時の口は滅法てきとうな事しか言わないものなのだが。
「背後を取られたら反復横飛べってじーちゃんが言ってたような言ってなかったような」
 なんなのよソレは、と言いたげな視線に対して咳払いを一つ。
「まぁ、いいじゃねえか。 宿に戻ろうぜ」
 こういう時は無理矢理にでも話を終わらせてしまうに限る。
 また墓穴を掘りかねないので言葉は少なめに。
 踵をかえして歩き始めたトラップであるが、パステルが追ってくる気配はなく。
 一体何があったのかと振り返らずに不思議に思ったトラップはふと考えた。
 ……まさか、隠していた秘密がバレたんじゃあ?
 思わず直立不動でゴクリと喉を鳴らしてトラップは該当する事項を探しだした。
 アレか? いいや、ソレかもしれない……コレがバレたら大変だぞ。
 軽快な音を立てていた彼の頭の中のそろばんは、該当件数の多さに労働放棄を起してしまった。
 頬に汗が流れるを感じながら、早いうちに証拠隠滅しておこうとトラップは心に誓う。
 しかし、ふと、これまでの人生で隠しに隠していた秘密だけは彼女に露呈しているのだと気付く。
 知られている度合いはともあれ、己が彼女に惚れているのだという事実。
 最大の弱みを握られているようなものである。
 半ば苦々しく思いながらも振り返ってみれば彫の浅いしわを眉間に作った考える人が一人。
 はたして、数歩離れた人物の弱みを握っているだなんて気付いているのだろうか?
 気付いてない方がトラップにとっては都合が良かった。
「置いて行くぞ」
「ああ、ごめん。 待って」
 トラップの隣へ駆け寄るも、通り道に石でも転がっていたらつまづいてしまうだろう上の空ぶり。
 猪鹿亭では普段どおりのパステルであったはずだった。
 ただしこれは他のメンバーが同席してトラップが少し離れたテーブルで賭けトランプに興じていた間。
 人は一年経っても変わらなければ一瞬で変わることもあるのだからして油断はできない。
 まぁ、そこまで深刻ではないにしろ。
「歩きながら考え事してっと、おめえ、ぜってーすっ転ぶぜ」
 少々失礼なトラップの忠告には反論するのが常のパステルである。
 だが、どことなくぎこちない笑顔でそうねと答えたりしてくるのだからおかしなもので。
 そしてどことなく不自然に自然さを装い、手のひらをポンと叩いてみせた。
「あのね。いま唐突に思ったんだけど、その……」
 なんとも歯切れの悪いことである。
 それすらも考慮された演技のひとつであるなら話は別だが、
パステルにそういった小細工ができるとはトラップには到底思えなかった。
 やがて、意を決したかのように、それでも何でもない風を装ってパステルは口を開いた。
「手を、つなぎたいなぁーって」
「はああ? 手?」
 トラップは人前でべたべたとするのはあまり好みでもなかった。
 どうせならその分、人気の無い場所でべたべたとすればいいというのが彼の持論でもある。
 しかし、先ほどの飲食店の看板娘の言葉が脳裏にリフレインする。
「……ほれ」
 パステルは意外なほどあっさりと差し出された手に驚きを隠せなかった。
 おずおずと胸ほどの高さまで上げられた手をトラップは荒っぽくつかんで歩き出した。
 それは恋人同士が手をつなぐというよりも駄々をこねる子どもを母親が連行する様に酷似していた。
 まったく色気のないことだとはトラップも嫌というほど自覚して苛立っていた。
 ゆるやかに歩調を合わせて、見慣れた町並みの景色について会話して、それから……。
 蜜月期を気取れたらどれほど楽しいだろう。
 思えども行動に移そうとするのにはとんでもない抵抗が引き起こる、天邪鬼はまだ健在。
 しかし、しばらくして手の力を緩めたのはパステルの方だった。
 言い出したのはパステルだが、正当な不満を主張する権利を彼女はもっていた。
 トラップはそれを甘んじて受ける覚悟はあるものの謝罪する気など毛頭なかった。
 ただ、手のひらに感じていた温度が消えた事が口惜しかった。
「ごめんね。わたし、手を繋いでるのを周りの女の子達に見せたかったの」
 しゅんと頭をたれて己の心根を責め、恥じてすらいた。
「…………」
 沈黙を怒りや呆れと判断したパステルは懺悔のように白状を続ける。
「だって、トラップってば最近ますます格好よくなっちゃったじゃない。
さっきだって数人の女の子が見とれてたんだから。気付いてなかったでしょう?」
「……まぁな」
 パステルに視線を注ぐ男性陣にばかり気を取られていたためにそんな女性がいるのは、
注意力ある盗賊としてはあまり好ましからざることだが、気にも止めなかった。
 冒険の拠点としているシルバーリーブで、彼らの関係は薄々と認知されており、
いつだったかのように赤の他人がパステルをせっつくような動きは見られないからだった。
 とはいえ、それまでに湧き上がった熱を急に冷まして次を、とは彼女たちも簡単に行かぬようで。
「だから、こう、こっ…コイビトはわたしなんだからねって見せつけようと思って」
 嫉妬のあさましさと恋人と口に出す照れとでパステルは色鮮やかな紅に染まる。
 く、とトラップは喉を鳴らした。
 いぶかしむパステルをよそに、クックックと肩を震わせる様はとても楽しそうだった。
「ばぁーか」
「なによっ! バカって言った方がバカなのよ! トラップったらバカじゃないの!?」
 頬の赤みを憤怒に変えるもいささか感情的になりすぎていて、発言が矛盾している。
「でもおめえ、おれに惚れてるんだろう?」
 なんとも意地の悪い笑みを浮かべて、さらりと言ってのけた。
 パステルは大きく目を見開いたかと思うとふいっと赤くした顔を背ける。
「……自信家っ」
 口惜しい、というその声音ではあれども、否定の言葉は出ることはなく。
「ほれ。どうせなら、遠回りして帰ろうぜ」
 今度は肘を少し曲げて、他でもない恋人の腕を誘いうける。
 パステルは吊り上っていた眉じりをゆるりと下げて、腕を絡ませる。
 そして注意を引くように袖をきゅうっと握りしめた。
「この機会に言わせてもらうけど」
「聞くだけは聞いてやろうじゃねえか。 あんだよ?」
 彼女の恋人は間近で上目遣いをする彼女に心をかき乱されてはいるものの、
あくまでも表層だけは平静を保つのに成功していた。
 それを余裕綽々と受け取った彼の恋人は少し拗ねたようなそぶりで口を尖らせる。
「あんまり、かっこよくならないでよね」
 どの口がそれを言うか。
 まるで何かの皮肉めいた言葉にすらトラップには聞こえたのであるが。
 口角が緩んでしまうのは止められず、すっと目を細めた。
「じゃあ、ずっとおれに惚れられ続けてみろよ」
 
 
 ああ こんなにも
 ああ きっと明日も明後日も
 ああ       君に夢中になっている。


オワリ


 
 
 
 
『イカしたトラップ(「イカれたトラップ」でも可)』

「イカした」という言葉の後で「イカれた」でもOKと……。
そんな頼もしいリクエストを下さるきなこさんが大好きです。
でも、するめを肴に酔いつぶれてるトラップが脳裏に浮かんだのは内緒。

萩 きなこさん、16000+1hitご申告&リクエスト、ありがとうございましたv

< 2003.12.26 up >
フォーチュン・クエスト (C)深沢美潮/迎夏生/角川書店/メディアワークス
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