温泉といえば

 
 それはヒールニントの温泉から出てきた時から始まった。

「あー、いいお湯だった!」
「いーお湯だったおう!」
「いいお湯だったデシ!」
 『女湯』と書かれたのれんをくぐり抜け「ぷはあ!」とばかりに出てきたパステル達。
 温泉の肌に対する効果を期待して、内心含み笑いをしたりする。
「ルーミィ、シロちゃん。 冷たいジュースでも飲もうか?」
 二人の返事は聞く事ができなかった。
「なっっっにいぃぃぃぃぃぃ―――――――――――――――――――――――っっ!!!!!!」
 キットンでも滅多に出さない大声でその場にいた誰もが耳を押えてクラクラッとよろめいてしまった。
 鼓膜が破れていなかったことを確認し、人体の丈夫さに感謝しつつ周囲を見回す。
 今の声に聞き覚えもあれば、声の主はこの場で唯一立っている人物なので即座に知れた。
「トラップぅー・・・・・・」
 溜め息とともに非難の気持ちをじっとりと込めて呼ぶ。
 トラップはサラサラな赤い髪の毛を乾かしている途中なのか肩にタオルを引っ掛けて、
 足元には中身がこぼれた牛乳ビンが転がっていた。
 なによりもその表情が特徴的で、パーティ組んで、いや、出会ってから初めて見るものだった。
 肩を震わせ、手をわななかせ、驚愕した顔の背後には「ガビーン」という文字すら浮かぶ。
 もしも「明日世界が滅ぶ原因は世界の半分がやさしさでできてないからだ!」
 とでも宣告されたらこんな表情をするだろうか。
 いやそういった推測はおいといて。
「トラップ?」
 もう一度呼んでみても反応は無い。
 よくよく周りを見ると、大声大会優勝候補のキットンでも籐の椅子から転げ落ち、
 ノルは笑顔を気力でキープするものの青ざめるのは止められないようで、
 クレイは恐らく耳元で叫ばれたのであろう、牛乳ビンの隣で白目をむいて倒れている。
 ちなみに彼の手にはそれでもコーヒー牛乳のビンが握られていた。
 ルーミィとシロは子供特有の環境適応力の高さゆえか、
キャッキャッと笑い声を上げて温泉は腰痛やリューマチに効くからとか子供らしからぬことを話していた。
 この場でまともに物事を考えられるのは己のみ。
 奇妙な責任感を抱いたパステルはトラップの絶叫の意味を考えてみる。
 彼の性格、普段の行動から予想されるものは・・・・・・。
「トラップもジュース飲みたいの?」
「んなわけねぇだろ!」
 先程ではないにしろ、耳元の声はキィ―――ンと響いた。
 クラッとよろめくパステルを見て、さすがに我を取り戻したトラップはゴホンと咳払いをした。
「そうじゃなくてだな、何でシロがそっちから出て来んだよ?」
「はぁ? 一緒に温泉入ったからに決まってるでしょ」
 トラップは、頭が抜け落ちるのではと思うほど首を左右に振った。
「だってシロってオスだろぉ? 何で女湯なんだ! 不条理だ!」
 王に直訴するように両手を広げるトラップ。
「そういえばそうね。 でも、シロちゃんまだ子供じゃないの」
 なに馬鹿なこと言ってるの、とパステルは溜め息をついた。
 乾ききっていない髪をかきむしり、床をダンダン踏みしめる。
「くっそー! 納得できねえ!! シロ、一度おれと代われ! そして禁断の地へと」
 結局はそれかい。
 それ以上恥ずかしいことを叫ばれると英雄扱いしてもらえるこの町とはいえ、
 明日にはどんなことになってしまうか分かったものではないので。
 振り上げられたパステル嬢のコブシによってトラップの発言権は奪われることとなった。

 


 ヒールニントは温泉を名物とした観光ですっかり栄えていた。
 ガイドブックに載ったりして湯治をメインに訪れる観光客は後を絶たない。
 パステル達が牢屋にブチ込まれた時とは比べ物にならないくらい活気に満ちている。
 町の懐も結構なものになったようで、パステル達の功績を称えた銅像をたてる話まで出たらしい。
 無論丁寧キッパリ断ったが。
「本当に良かったよね・・・・・・」
 大きめのベットの上、柔軟体操をして呟いた。
 備え付けられている机の上には原稿とペンがたたずんでいる。
 パステルはチラッとそちらを眺めて今度書く冒険談の構想をおぼろげにまとめる。
 あの時トラップのせいでクレイったら・・・・・・。 
 それでキットンは何と言ってただろうか・・・・・・。
 そうだ、ルーミィの魔法も上達してきた。 その場面は絶対に外せない。
 よし、書くか!
 気合たっぷりにベットの上で仁王立ちする。
 しかしながら、ちょっぴり運動神経がアレなパステルはズベッと転がり落ちた。
 その部屋には他に誰もいない。
「・・・・・・・・・・いったたたぁ・・・・・・」
 見られなくて良かった、と思いつつも静寂の中で腰をさするのはやや寂しいものがある。
 突然、どたたたた!!と音を立てて何かが近づいてきた。
「パステ―――ル! ・・・・・・おねえしゃん!!」
 わずかに扉が開いていたため、唐突な侵入者は容易に驚異的なスピードで入って来た。
 何故か四本足でのドリフト、という言葉がピッタリだった。
 しゅうう、と煙を足から発生させて白いそれはハァフゥと肩で息をしていた。
「し、シロちゃん! これは別に転んで腰を打ったわけじゃなくて不可抗力というか」
 つい言い訳などをしようとするが、トラップ辺りならいざ知らず、
 この健気なホワイトドラゴンが「ケーッケッケッケ」なんて高笑いするはずもなく。
 そういえばもう夕方であるなぁと窓の外を見て、ミニスカートの埃を掃って立ち上がる。
「もう晩御飯食べに行くの?」
「このアングルっておいしいな・・・・・・」
 いつもの愛らしさが欠けた口調で呟く。
「はぁ?」
 白い竜は我を取り戻し、キラキラとした眼差しをパステルに向けた。
「何でもないデシ。 それよりパステルおねえしゃん! 一緒に温泉に入ろうデシ!!」
「さっき入ったじゃない」
 一瞬言葉につまりながらも引き下がりはしなかった。
「んと、今走って汗かいて気持ち悪ぃん・・・・・・デシ! 一人じゃ入れないデシ」
「うーん、それじゃあ晩御飯の後で」
「だあら、それじゃダメなんだって・・・・・・デシ。 ゴハンの前じゃないと嫌デシ〜」
 確かに食事はこざっぱりした後の方がいいかもしれない。
 追い討ちとばかりに黒曜石のような瞳を潤ませる。
「お願いデシ。 ボクのこと、嫌いデシか?」
 そんな切なそうな声を出されてしまっては。
「ああん、もう! なんってかわいいの?!」
 無敵な引力によってパステルはシロをぎゅ―っと抱きしめた。
「ぱ、パステル?!」
 何故か慌てた様子のシロを小脇に抱え、
 『ヒールニントの湯』と書かれた宿オリジナルの手ぬぐいをしっかと握りしめる。
「安心してシロちゃん! 温泉ですっきりさっぱりキレイにしてあげるわ!」
 気合を入れて言い切ったパステルの瞳には炎すら宿っているようだった。

 


 時間帯が中途半端なのか、脱衣所前のロビーにすら人はいなかった。
 大抵の人は知っているものの、外見犬の彼を入れる時、たまに問題になるので都合がいい。
 脱衣籠に着替えとタオルを放り込む。
「ほら、シロちゃん。 帽子取るよ」
 黙ってパステルにされるがままの彼。
「なんか元気ないなぁ、どうかしたの? ルーミィとケンカでもしたの?」
 まさかそんな事はないだろうけど、と心の中で付け加える。
「い、いや。 んな事ねぇけど」
 やや緊張した様子で言うので、おや、と首をかしげた。
「なんかトラップみたいな喋り方ね」
 シロはビクゥッとして怯えた表情になる。
「まったく、トラップって変な言葉ばっかり教えるんだからな。 
シロちゃん、あいつの口調のマネもほどほどにしなきゃダメだからね」
 困ったものだ、とパステルは頬をふくらませる。
 シロは曖昧な表情でうなずいた。
「さてと、わたしも脱ぐかぁ!」
 瞬間、パステルは並々ならぬ気配を感じた。 あの鈍感パステルが、である。
 しかし周囲を見回しても、いるのは子犬にも似たホワイトドラゴンの子供が一匹。
 その瞳にはいつもは宿っているはずの『無邪気』とか『純粋』とかいう形容詞は無かった。
 代わりに室内の明かりよりも光っているのだ、モンスターがいるわけでもなしに。
 キュピーンという音が聞こえる気さえする。
「シロちゃん?」
「はっ! な、なんデシか、パステルおねえしゃん?」
 笑顔が変に人工的な感じがするが、やっぱり所詮はパステルなのだ。
「・・・・・・まぁいっけど」
 一言で流し、ハイネックに手を掛けてエイヤッとばかりに脱ぐ。
 他に人がいないので豪快な脱ぎっぷりである。
 温泉からの熱気があるので下着姿でも寒くは無い。
 さっさと脱いでさっさと入ろう、とスカートに手をかける。
 どこからか、ゴクリ、と唾を飲み込む音がして―――――――
「トラァァァァ―――――――――――――――――――ップ!!!!!!」
 スパァ―ンと快い音がして引き戸が開かれる。
 ぎょっとして一人と一匹は入り口に注目する。
 そこには
 今まさに怒りの頂点というクレイと
 彼に首根っこを捕まれた困り顔のトラップがいた。
 あんまり見られない構図ではある。
「トラップ!! お前みたいな奴に嫁入り前のパステルをやれるかぁっ!!!」
 意味不明に一人娘は嫁にやらない頑固親父的発言をするクレイ。
「ッキャアアアァァァァァァァ―――――――――――――ッッ!!!!!!」
 今更ながら現実に気付き、叫ぶパステル。
 そばにあったオケを二つ力の限り投げる。
 スココンと軽い音をたててクレイとトラップの鼻面に命中した。
 ボウガンもこれくらいの命中率を誇ってほしいものだ。
 当たり所が良すぎたのか、そのまま二人は後ろに引っくり返った。
「んもー、なんなのよ!」
 うら若き乙女の素肌をうら若い男に見られ半泣きである。
 どたばたという足音とともにパーティの残りのメンバー、キットン、ノル、ルーミィがやって来た。
「ああああああ、パステル! 無事でしたか!」
「良かった・・・・・・」
「無事でも良くもないわあぁぁ――――――――――い!!!」
 やはりオケを投げ、スココーンという音と共にキットンとノルはクレイ達の隣に倒れた。
「んもう! なんでみんなして女湯に駆け込んでくるのよ!」
 べそべそと情けなさの涙を流しながら服を着る。
「ちぇ、もう少しだったのによぉ・・・・・・ま、今回はこれっくらいでいっか」
 足元からの呟きは確かにパステルの耳に届いた。
 背筋の辺りがスウッと冷めてゆく。
 合点がいって、どこかスッキリしたパステルはにーっこりと微笑んだ。
 両手で彼を持ち上げ目線を同じにする。
 にこにこにこにこと笑顔のパステル。
 それにつられて彼も笑顔を浮かべるが、どう見ても引きつっている。
「え、えへへへへ。 パステルおねーしゃん大変デシねえ?」
「うふふふふふふ。 本当にねえ。 誰のせいかしらねえ?」
 次第と首の辺りにそえられた手にギリギリと力が込められてゆく。
 生命の危機をも感じつつなんとか答えを探す。
「た、太陽のせいとかどうでしょうか・・・・・・?」
「うふふふ、面白いわねえ。 トラップ」
「お、お褒めに預かり光栄でございます。 パステル様」
「説明は?」
 極寒のブリザードでもここまで寒気は感じまい。
「はっ。 キットンの野郎が丁度良く
『精神を入れ替える妙薬』なんぞを持っておりましてそれをわたくしめとシロに飲ませまして」
 我ながら、よく窒息せずに喋れるものだと自画自賛しながらトラップは言った。
「そう。 それじゃあこれはシロちゃんの身体なのね?」
「おおせの通りで」
「じゃ、元に戻った時が楽しみねー♪」
 その時の笑顔をトラップは二度と忘れる事ができない。
 出会ってから初めて見た、極上の笑顔を・・・・・・・・・・・・。
 

「ほーんと、とりゃーってばからよねー」
 ルーミィの妙にしみじみとした言葉に返事のできる者は、誰もいなかった。


<オワリ>


 
 
 
 
ほんと、全員別人。
私の中でもトラップって卑怯者じゃない筈なんですが。(私がそうか)
パステルさんが怖いですわ。 鈍感なんだか敏いんだか。
ノルやキットンに至っては心配して来てみりゃ桶に沈まされてるし。
ルーミィは締めをやらせたのに、シロちゃんは一言も無し。
クレイはまぁ、彼は不幸な星の下の生まれだし。(酷)
そもそも、何でヒールニントにいるの?
という類の、些細な疑問は持たないが吉です。(湯治かなぁ)

< 2002.04.29 up >
フォーチュン・クエスト (C)深沢美潮/迎夏生/角川書店/メディアワークス
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