おつきあい交渉

 
「パステル、おれとつきあってくれ!」
「はあ?」

 締め切り間近、『開けるな!』の紙が貼られたドアから侵入してきたばかりか、ルーミィやシロちゃんの相手を隣室のクレイに頼んで静かにした部屋を躊躇なく横切り、原稿と格闘の真っ最中であるわたしの体の向きまでわざわざ変えて、一秒たりとも無駄にできない今という貴重な時間を割いて、された発言と反応で出た声がこれ。
 間の抜けた声も頭のスイッチを切り替えるのに時間がかかるのも仕方ないじゃない?
 ふと見た窓の外は芽吹いた木々や小花がのんきに揺れている。
 柔らかな陽射しでパワーアップした睡魔にうっかり負けてしまいそう。
 今はまだ負けては駄目、あと5枚仕上げるまでは……。
 その前にこのよくわからない空気を解読しなくてはならないようだけど。
 利き手に持っていた鉛筆を簡単なペン回し技でくるりと回して分析開始。

 トラップにとって気まずい空気なのか、顔を背けたまま。
 うむむむむ? どゆことだ?
 トラップが様子を伺うようにチラッと目線だけを向けて来た。
 うーん、と? つまり?
 トラップの横顔はどう見ても赤く染まっている。
 これはもしかして?

「あ……っ!?」

 わ、わかっちゃった!
 思わず顔が熱くなって、鉛筆を机に投げ出し、頬を両手で覆った。
 だってこんな事が!
 しかもこんな時に!?
 トラップってば何考えてんのよー!!
 そりゃ、こういうのって時も場所も選んでられないかも知れないけど!
 クエスト中じゃないんだから、もっとさあ……。
 いや、選んだのかもしれない。
 大所帯パーティでは二人きりになるタイミングって難しいし。
 て、いつから言おうとしてたわけ?
 もしかしてずっと前から、なんて? う、うそぉー!?
 ううん、今はパニックになってる場合じゃない。
 よし、落ち着こう、落ち着けわたし!
 すー。はー。すー…はー……。
「おれの言った意味、わかってるよな?」

 トラップはわたしの深呼吸については触れず、やや疑わしげに念を押した。
 息を整えるのも当然だと思っているのだろうか。

「うん。たぶん」

 返事はしたけど、もっと言うべきだろう。
 落ち着いて頭が少し覚めたから、なんとか応じるだけはできそう。
 ただし頬はまだ熱いまま……いや、応じる内容を分かってるからかもしれない。
 今のトラップのための言葉は運命だったかのように出てきた。

「知らなかったもの。あなたが……トラップが、その、わたしを好きだなんて。だから」

 馴れないことを言う恥ずかしさで目が泳いでしまう。
 ここは一気にいかないといけないな。
 勢いを無くしたらもう、二度と言えない気がする。
 両手の指をぎゅっと組んだ。

「だからビックリしたの。でも、わたしも同じ気持ちだから」

 『だから』が被ったなあ、なんて思ったけどツッコミはなかった。
 トラップこそ大層ビックリしたようで、信じられないと言わんばかり。

「おめえ、マジで言ってんの?」

 どうやら予想外の返事だったらしい。

「……本気だと迷惑?」
「い、いや! そんなことねえけど……」

 眉尻を下げたトラップが弱り切ってるのは明白だ。
 わたしのせいだと思うと、やはり俯いてしまうのは止められなかった。
 こんな場面になったのは生まれて初めてで、胸がドキドキして、トラップの顔も見れない。
 こんな場面でも平常心でいられるコツがあるなら今はとても知りたい。

「好かれてるなんて、おれだって夢にも……。おい、パステル」

 真摯な声のトラップがわたしの肩をつかんで表情を覗いてくる。
 わたしは声にならない悲鳴を上げた。
 お願い、やめて! そんなことされたら……!

「もうムリ! ないわー!!」

 堪え切れずにブハッと吹き出してしまった。
 やっぱり心にもない甘い台詞なんて言うもんじゃないわね。
 込み上げる笑いを押さえるのがこんなに辛いなんて!
 ひー、涙まで出てきちゃった。
「パステル、おめえ……?」
 呆然としたトラップの両手は、わたしの肩から離れて透明人間の肩を掴んでいる。
 そして勝利を確信したわたしはにんまり笑顔でブイサイン。
「だーいせーいこーう! 騙そうとして騙された気分はどう?」
「騙し……?」
「そ。お金を借りるのは無理だからってカジノに付き合わせようだなんて!」
 腹が立って頭に血がのぼっちゃったわよ。
 騙し返してやるにもドキドキしちゃったけど、意外にバレないもんね。
 『つきあう』を違う意味に取るなんて。
 もう使えない手だし、やりたくもないけどさ。
 企みが見破られてぐうの音も出ないらしいトラップは置いといて、机の上の冊子を取る。
 冒険時代に掲載されている連載小説のタイトルは『恋の始まりはエベリン』。
 ちょっとアレな名の表すように、ベタ甘な恋愛小説。
 すれ違いだけど純愛なところがウケてるとかいないとか。
「……おめえが言った言葉って、まさか」
 あら、ご明答?
「手本がなきゃ言えっこないよ。あんなこっぱずかしいセリフ」
 ほら、とエベリンの星空の下での告白シーンのページを見せた。
 アレンジは加わったけど、大まかには引用できた。
 返答も似てたのよね。トラップがこれを読んだとは思えないけど。
 トラップはしばらく目で文章を追い、急に疲れたのか片手で目を覆った。
「………………もう言わん」
 ようやく敗北を悟ったのかなと思ったらぽつり。
 おおお、効果てきめんだったみたいね!
 そうなると恥も外聞もかなぐり捨ててきた姿が憐れに見えるというもの。
 最初のセリフの後で居心地悪そうだったし。
 トラブルメーカーのトラップでも早々に反省したなら、ゆるしてあげなきゃね。
「わかればいいのよ。別にカジノに行っちゃダメとはわたしも」
「おめーにつきあってくれなんて言ったおれがどうかしてたんだ!」
 手をどけた顔は反省の方向が違うのか、悔しさを通り越して怒ってるみたい。
 そして今のが捨て台詞だとばかりに部屋からドスドスと出て行った。
 扉は力任せに閉じられて、建物全体が少し揺れた。
 廊下から「頼まれたってつきあってやるもんか」と怒鳴り散らしてるのが聞こえた。
 なぁーに、あれ。
 執筆の邪魔した上に騙そうとしといて、子どもっぽいたらありゃしない!
「いっけない、原稿の途中だったんだ!」
 それにしても、やっぱり徹夜明けは頭が働かなくなるなあ。
 鉛筆を持って続きに取り掛かる前に小さく肩をすくめた。
 だって、トラップが最初のセリフを言った時なんて、

 本当に 恋の告白をされていると 思ってしまいそうだったもの

「あっはっは。まさか!」
 でも、それを言ったら、怒って出て行った人物はどんな反応をするだろう。
 ふざけるなとまた怒るか、有り得ないと大笑いするか、冗談だろうと嘆くか、それとも?
 ふふふ。おかしな脱稿後の楽しみができちゃったもんだ。
 残りの原稿もすぐに書き上がれそうじゃないの!

 その晩、トラップがものすごく複雑そうな顔でため息をつくわけだけど。
 それは別のお話、ということで。

<オワリ> 


 
 
 
 
嘘をついてもいい日にブログに載せてました。
受け止められなかったのはトラップの自業自得ですが、
パステルがフラグクラッシャーと指摘いただきました。納得。
 
< 2011.06.06 up >
Top