こんなこともあろうかと

 
 一面ガラス張りの向こうにはカミナシティを見渡せる絶景が広がっていた。
 しかし、それは部屋の主の背中にあった。
 模様替えには向かない重そうな執務机で書類の山と格闘する間は景色も何もあったものではない。
 唐突に、その多忙中であるはずの部屋の主が口火を切った。
「この部屋には足らないものがあるんだ、ロシウ君」
「仕事に必要なのは書類とサインするペンで充分のはずです」
 隣で家庭教師もとい監視役もとい補佐として立っていたロシウはばっさりと切り捨てた。
 発言主、シモンはなおも食い下がる。
「職場に花があれば能率も上がるんじゃないかな」
「花を愛でる趣味があるとは。どうしてもと言うのであれば花瓶か鉢植えを用意させますが」
「直訳かよ。そうじゃなくて、女の子がいたらいいと思わないか?」
 シモンはくるりとペンを回し、ロシウはくだらないと言うように顔をしかめた。
「昨日、式典の後で沢山の女性から歓声を浴びていたでしょう」
「遠巻きに声かけられただけだろ。それに女の人なら誰でもいいわけでもなくて……」
 世界の英雄とは思えないもじょもじょと口ごもる様にロシウはうんざりと核心を突く。
「ニアさんですか」
「さっすが補佐官、わかってる! でさ、」
「会いたい、休憩したい、抜け出したい。これに類似する要求は聞きませんよ」
 提案の前に釘をさすと、図星だったらしいシモンは遠慮なく不満を顔に出した。
「えー! どうしてだよ! ニアが足らないんだぞ! 昨日の夕方から机にかじりついて!」
「徹夜仕事にした原因は胸に手を当てて考えて下さい。
足らないと言う意味も分かりませんね。昨夜のデートとやらの代わりに電話させてあげたでしょう」
 手短と言ったのに長電話になったばかりか、だらしないほど幸せいっぱいに頬を緩ませ、
愛してると送話口に囁く様を横で見る身にもなってほしい。
 無駄な長電話の時間で30以上のサインもできたはずなのだ。
 シモンは昨夜耳にした声を思い出したのか、テヘッと照れ笑い。
「声を聞くと、今どんな顔してるのか考えちゃって、もっと会いたくなるんだよなー」
 その発言は見事にロシウの機嫌を逆なでした。
「さぞ辛いのでしょうね。今後、私用電話は一切禁止にしましょうか!」
「今のなし電話させてくれて感謝してる」
 口早に言うシモンの態度に、ロシウはまったく、と腰に片手を当てた。
「あなたは不真面目なんですよ。この書類の山が片付くまで解放しませんからね。
総司令だけに限ったことではありませんが、幹部全員があと一日一時間でも真剣に当たれば、
政府の抱えた仕事が格段に効率よく回るというのに。聞いてますか、たったの一時間ですよ!」
 シモンは聞いていなかった。
 机にあごをのせて、がりがりとサインするペンの動きもひどくやる気なく、
政府のトップの実態を知らぬ者にはサイン偽造と疑われても仕方ない出来だ。
「はあ…ニアに会いたい…ニア…ニア……ああニアの名前を少し変えるとアニキか…
ニアを一目見たいんだよアニキ……」
「…………」
 口をへの字に曲げたロシウは、やがて諦めたようにため息を吐いた。
 これというのも身から出た錆である。
 年齢的体力的に見ればもう一日仕事に明け暮れても問題ないはずだ。
 しかし、なまじっか力を持て余してるからこそ鬱憤は溜まる一方なのだろうし、
確かに不真面目ながらも20時間近く書類と格闘しているのは評価すべきだろう。
 おもむろにロシウは写真立てを取り出し、机の上に置いた。
 シモンはどんよりしていたクマだらけの双眸をかっと開き、わななく両手でそれを掴み上げた。
「えっ! な、こんなのいつの間に!?」
 写真の中の人物は上品な笑顔を惜しげもなく向けて左手でピース。
「こんなこともあろうかと密かに用意していました」
「うわぁぁぁ…、かわいいなあ。ニアは写真になってもすっごくかわいい! な、ロシウ!」
 いえ聞かれましても、と彼の補佐官は身を引いた。
 気を取り直し、ご満悦な上司に念を押す。
「仕事に精を出してくれますね?」
「ああ、おれ頑張るよ! 天元は突破するためにあるんだから!」
 鼻息荒く、サインする手は早かった。
 ロシウはその単純過ぎる反応にいささか納得できないものがあったが、
己の狙った効果通りではあるので色々、例えば政府の未来への不安などは、考えないことにした。
 明日と言わず今日の夕方には通しておかねばならない書類がまだまだ残っているのだ。
「……まあ結構。実はこんなものも用意してましたが、不要でしたね」
!!!!!
 ニア等身大のパネルだった。
 こちらは両手を胸の前で組んで、祈るような応援してるような姿になっている。
 横にフキダシを付けて『頑張って下さいねv』とあればさぞピッタリだろう。
 立ち上がって口をぽかんと開けて凝視しているシモンだったが、
ロシウが咎め見ると慌てて座って書類の処理を再開し始めた。
 気になるようでパネルにチラチラと目を向けるも、仕事のスピードは最初の何倍という早さである。
「どうして、こんなものまで?」
「リーロンさんに相談しました。とりあえず写真だけですが、音声付きや抱き枕にもできるのだとか」
「抱き枕ァ!? そりゃちょっと………。ちょっと、欲しいかも」
 書類から一瞬目を離して考えた末の感想がこれらしい。
 何考えてんですか下品ですよと思いながら、ロシウは一応聞いてみることにした。
「家に置くつもりですか?」
「え? う、うーん。いや、やっぱりマズイよな」
 もしも本人が見たらと思えば普通はかなりマズかろう。
 自身の抱き枕を見たとしても純粋培養なニアに軽蔑という単語が出てくるかどうかは不明だが。
 ロシウは先月の歳出の数字を見ての思いつきをそのまま口に出した。
「しかし彼女は人気もありますし、そういった商品を出せば政府の財政の足しにはなりますね」
「ニアをろくでもない商売のダシに使うなんて絶対承知しないからな」
 ペンを止めて睨む目にはそれなりの凄みがあったものの、ロシウは涼しい顔で受け流した。
「ええ、いざという時の策ですから。総司令が真面目に仕事に取り組めば必要ない策です」
「……あーあ、二言目にはそれだ」
 声ほど不満ではない証に書類のサインもなめらかだ。
 咎めはしても、本当は冗談と分かっているのだ。
 それくらいはロシウも承知しているので肩をすくめて応酬する。
「他の言葉を言わせるようになって下さい。
『こんなに早く仕事を済ませてくれるなんて!』とかいいですね」
「まあ、それはそれとして。ニアを撮ったのは誰だ? この笑顔は大グレン団からの仲間だろ?」
 笑顔ひとつでそこまで見抜ける洞察力と追究心は仕事にこそ発揮されるべきだ。
 とは思いながらも、ロシウは律儀に答える。
「はい、撮影もパネル作成も僕が」
 こんなもの、部下に作らせるわけにはいかない。
 下手したら総司令、ひいては政府の不信に繋がりかねない。
「へえー、不器用だと思ってたけど意外じゃないか」
「誉め言葉と受け取りますよ。気に入ったなら何よりです」
「しっかし写真撮りに行ってパネル作るなんて、ロシウも案外ヒマなんだな」
「……はい?」
 忙しいですよ、ガチンコに。
 阿呆な上司が仕事しないから代わりに書類に目を通して重要部分を抜き出したり、
阿呆な上司が仕事中に抜け出すから探しに行ったり、
阿呆な上司がグダグダ文句垂れるからフォローに回ったり、
おかげ様でこの世界の謎も謎のままじゃないですかこんちくしょう。
 だが、書類にサインと備考を書き込みながらシモンはのん気にうんうんと頷いている。
「ヒマで結構だよ。平和な証拠だもんな」
 軍や警察や裁判所がヒマならまだしも、政府がヒマでいいわけあるか。
 ぷつんと、ロシウの広い額で何かが切れた音がした。
あなたは何もわかってな……           
 渾身怒鳴り声も、勢いよく扉が開かれた音にかき消された。
 ロシウの気勢は一瞬にして完全に削がれてしまった。
 噂の人物が三段重ねだろう重箱の包みを片手にニコッと微笑んで登場したからだ。
「ごきげんよう。お弁当を持ってきました」
「ニア!」
 シモンはパァッと顔を輝かせると大きな執務机を飛び越えて、あっという間に戸口の人物の手をとった。
 どこに隠してたんですかその元気、と呆れるロシウが時計を見るときっかり正午を示していた。
「まだお仕事中でしたか?」
 ニアが小首を傾げると、ああ本物が一番だと脳内だだもれに呟いたシモンは取り繕うように咳をした。
「いや、ちょうど終わったところ」
 机に積まれた書類は全てサイン、あるいはサインできない理由が添えられていた。
 最後の一枚など走り書きもいいところで、摩擦熱で煙りが立ち上っている。
 もしかしたらインクではなく焦げ跡で書かれてあるのかもしれない。
「よかった、温かいうちに食べてもらえますね。ロシウさんもいかがですか? 多めに作ってきましたから」
「い!? いいえ、結構ですっ!」
 急に話を振られ、しかも昏倒確実な料理をすすめられ、ぎょっとしたロシウはほぼ反射的に辞退した。
 そちらを振り返り見て、シモンはあることにようやく気付いた。
 今日の空がいかに紺碧であるのかを。
 愛しい人物の手から重箱を受け取りながら提案する。
「天気がいいから公園で食べようか」
「素敵! ピクニックですね」
 両手を合わせて顔をほころばせるニアとは対象的に、ロシウは顔を強張らせた。
「まさか、総司令……このまま帰る気ではありませんよね」
「その書類の山が終われば解放してくれるんだろ? じゃ、そういうことで」
 シモンはひらひらっと手を振ってニア共々出て行った。
 扉が閉まるのと同時に等身大パネルがぺふんと倒れた。
 残されたのは、ロシウと各方面に届けるよう手配せねばならぬ書類の山。
 昨日から一睡もせずに部屋に閉じ込められていたのはロシウも同じである。
 そのお気楽な元凶は恋人との時間を満喫しに行ってしまった。
 ロシウは絶望に膝を折り、硬い床に拳をぶつけた。
「……ふ、ふふふふふ、いいだろう。こんなに早く仕事を終えてくれるとはな!」
 やつれながらも眼光はいっそう鋭くなったのだった。

 翌日、総司令が部屋に入ると、パネルはもちろん写真立ても撤去されていた。
 かわりに3倍に増えたのは書類の山。
 補佐官の字で「今日中。昨日のペースなら午前中に終わります。」と書かれたメモを見て、
世界を救ったと言われる英雄は空を仰いで、まるで心当たりがないというように首をかしげた。


オワリ


 
 
 
 
再放送の更に3部からの視聴でシモニアはまりしました〜。
作中にカミナ&シモンパネルが出ていたので、つい。
グレン団のメンバーも、もっと有能だと思いますが、つい。
そしてついついシモンが(少なくともロシウには)ヒドイ人に…。
こんな上司、私ならやめます(笑)

< 2008.02.17 up >
天元突破グレンラガン © GAINAX、アニプレックス KDE-J、テレビ東京、電通
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