一方通行恋ルキ5の御題 [01] 後悔
 
 川面はきらきらと、穏やかに輝いていた。
 土手で見事な満開を迎えた桜は、柔らかな風に乗せて欠片をそこに送る。
 少し前なら肌寒く感じた昼下がりも、幾許か過ごしやすくなった。
 隣を見ると、連れは腕を空に上げ、背筋を伸ばしている。
 ただでさえ大きな(死神の中では標準だが)体躯がより大きく見える。
 まるで虎が眠そうにしているようで、私は小さく笑った。
「恋次」
 呼びなれた名を、呼んだ。
 彼の者は振り返り、至極呼びなれたように、呼ぶ。
「ルキア、なんか言ったか」
「……綺麗な景色であるな、と」
 私は笑みが消えぬのを自覚して、言っていない言葉をつむぐ。
 さして気に止めぬように恋次は頷いた。
「ああ。こんな平和な景色は戌吊じゃ考えられねえな」
 昔であれば、瀞霊廷に足を踏み入れた頃であれば、その言葉には様々な感情が混ざったものだが。
 素っ気無い中には、もう、それらはない。
 美化はできずとも、過去の記憶は、思い出となりつつあるのだろう。
 聞いている自分も同じであるように。
「死神への一歩、学院に入れたな」
 感慨深く言う私と、何をいまさらと言う顔の恋次。
「今思えば、私が生きてこれたのはお前がいたからかも知れぬ。感謝している」
 重ねた両手を膝まで伸ばすように礼をした。
 戻すと、恋次は薄気味悪いとでも言いたげな顔をした。
「オイ大丈夫か、熱でもあるんじゃねえのか?」
 見当外れな一言。
 たまに殊勝な事を言えばこれだ。
 いや、たまにというのは間違いだ。
 私としては常に真摯な心をもっておるつもりだからな。
 やはり切り出すきっかけが不味かったか。
 しかし先の甘味処は人が多くて腰をすえて話をするには不向きであったし、
日も傾きかけている今、少しばかり無理をしてでも今この場で話すしかない。
 咳払いをして気を整える。
「恋次。その、少々言いにくい事なのだが」
「あーあー、みつ豆と冷やし飴なんてモンばっかり食ってるからだ」
「え」
「気にすんな、とっとと厠に行ってこい」
 違うわ莫迦者。
 妙齢の女性に対する気遣いや配慮の欠片も無い言動への罵倒が口からあふれ出そうだった。
 しかし、これも恋次らしい態度といえばそうである。
 もしかしたら重要な話と察して、緊張をほぐそうとしてくれているのかもしれぬ。
 恋次は大きな石に腰を下ろすと、こちらを見上げ見た。
「じゃあ何だよ。まあ、座れ。疲れたろ」
 拒む理由もなく、隣に腰掛けると、川を見下ろすのに丁度良かった。
 まだ冷たいだろう水面はきらきらと輝いている。
 もっと暖かになったら子ども達がこの川で遊ぶのだろう。
 先の季節に思いを馳せ、川を見つめながら深呼吸をひとつ。
 言うと決心した筈なのに、何をためらうことがあろう。
「子どもが、できたようなのだ」
 ぽつり。
「へえ、目出度い話じゃねえか。誰だ?」
 大して興味があるわけでもないが、慶事であれば嬉しくなくもない。
 好ましくも憎らしくもある反応だ。
 しかしそのせいで、私はもう一度、勇気をためる呼吸をしなければならぬ。
「……私に、だ。ついでに言っとくが、父親は貴様だからな」
 どうやら思いもよらなかったようで、恋次は目も口も大きく開いて固まった。
 と思うと、目まぐるしく動いた。
 瞬きをしたりこめかみに手の平を当てたり、言葉にならぬ言葉を呟いたりといった具合。
 がばっと顔を上げ、指を広げた手と一緒にこちらへ向けた。
「ちょ、ちょっと待て。俺はそんな事した覚えねえぞ」
 ああ無いとも、と言う様はこちらに念押しをするよう。
 悲しい事に、その言葉を半ば予想してはいた。
 細かに震えそうになる唇をきゅうと噛んで抑えた。
 座っても高い位置にある恋次の目を見上げるように覗きこむ。
「一ヶ月ほど前の酒盛りで貴様は随分飲んだそうだな」
「ああ。吉良なんかフンドシ一丁になって、最後まで素面でいたのは……まさか」
 私の言わんとするところを読み取った恋次であるが、疑問の影は消えていない。
 そして額を片手で覆うと自問自答した。
 何故分かったかと言えば、何の事はない、声が漏れ聞こえたからである。
 確かに潰れはしたものの記憶ぶっ飛ぶなんて今まで一度も……云々。
「……本当に、覚えておらぬのだな」
 覚えておらぬものを責め立てても仕方あるまい。
 だが、恋次の表情を見ていて平然としていられるものでもなかった。
 こちらの顔を見られぬように、うつむいた。
「ルキア……」
 ひどく申し訳なさそうな恋次の声を聞いて、私は。

 ほくそ笑んでいた。

 くっくっく、どうやら恋次は知らぬようだな。
 今日が現世で『えいぷりるふぅる』と言い、嘘をついても良い日であることを。
 その四月の一日の風習は尸魂界にはないが、私も恋次もこちらとあちらを行き来する死神となる身。
 現世のことを知っていて損はなかろう。
 私も最近知った事ではあるのだが、だからとて親切に恋次に教えてやるのは癪だ。
 体験してこそ身にしみて覚えるだろうしな。
 しかし子どもができただの親はお前だの、我ながら大法螺を吹いたものだ。
 恋次も『えいぷりるふぅる』は知らなくても、いい加減に謀られたと気付くだろう。
 最終的には嘘を見破って怒るだろうが、そこはそれ、騙される方が阿呆なのだ。
 「テメーよくもだましたな!」
 「たわけ! 現世に疎くて死神が勤まるものか!」
 「ああ! 目から鱗が落ちましてございますルキア様!」
 「うむ、わかればよい。オーホホホ」
 なかなか良い道筋ではないか。
「ルキア」
 計画の完璧さに感慨深く思っているところに水を注された。
 多少怒気を含んだ声音からすると、ようやく気付いたようだ。
 間抜けな怒りの言葉の二つ三つは優雅に聞いてやろうではないか。
 にやりと口が弓なりになるのを隠す必要はない。
 振り向くと、恋次の大きな体に覆いかぶさられた。
 これは予想外である。
 く、恋次め、こちらの動きを封じるとはやるな。
 しかしこれしきのこと、鬼道で切り抜けてみせるわ。
「すまん」
「れ?」
 何故恋次から謝罪の言葉が出るのか。
 鬼道を使うと看破しての不意打ちとは考え難いが。
「記憶がないとは一生の不覚だ。けど、お前も平然としていやがるから」
「ん?」
 なにやら話がおかしい。
 そういえば。
 先の声に含まれていたのは怒気と言うよりも真剣味であったように思えなくもない。
 更に今の体勢は。
 動きを封じられたと言うよりも、抱きしめられていると言うのではあるまいか。
 まさか、こやつ……。
「俺も男だ、責任は取らせろ。ルキア、所帯を持とう」
「じ、自分が何を言っているか分かっておるのか!?」
「残念ながら今は素面だ」
 空いた口が塞がらないとは今の私のことだ。
 嘘を吐いた趣向返しの可能性も考えたが、先ほどとは打って変わり、微塵も疑った様子は無い。
 まさか、まさかこの男がここまで信じ込みやすいとは思わなんだ……!
 まったく、過去は戌吊という環境の中にありながら、素直な心根を持っている。
 不本意ながら私は軽率であったと認めた。
 仕方が無い、こうなれば嘘と白状してやろう。
 そこでふと気付く。
 私の嘘を鵜呑みにした恋次のこの反応は、万一そうなった時の真の姿なのだ、と。
 私の倍はあろうかという肩幅や、背中に回された手の平、呼吸をするたびに入り込むにおい。
 それらを意識してしまうと、耳までもがやたら熱くなってきた。
 早く打ち明けてやらねばならぬのに、何故かその気になれない。
 夕暮れ迫る川辺であっても、寒さは感じないのが理由であろうか。
 恋次はハッとした様子で私の肩を掴んで身を離した。
「そんな体でみつ豆三杯も食って寒風に当たってる場合か、バカ野郎」
「いや、ええとだな……」
 観念しつつも、穏便に伝える方法はないかと考えていると、視界がぐるりと回った。
 抱き上げられてしまったのだ。
「こうしちゃいられねえ、帰るぞ」
「ど、何処にだ」
「そりゃ寮に決まってるだろうが……こういう時の処遇は聞いた事ねえな」
 寮までこの格好で行くつもりのようだ。
 このままでは同期生や町行く人々の目に晒されてしまうではないか。
 いや、人目がどうとか言う以前の問題のような気が。
 戌吊にいる時を含めてこんな風に意識した事はない。
 私と違って……男なのだ、恋次は。
 分かりきっている事だが鼓動が早くなる理由になるのだろうか。
 もしや私は……、私はどうしてしまったのだろう。
 いかん、落ち着かぬ。
 これはその……とにかくいかん、いかんのだ!
「まあ大海原にでも聞けば分か」
「たわけーっ!」
 本能の赴くまま、私は足を振り上げた。
「ぐはあっ!?」
 頭を強打された恋次はきりもみ状態で地面に沈む。
 無論、私はきちんと足から降りた。
「か、踵はねえだろ、テメー…」
 地面をひっかく恋次を見下ろすと、微かに罪悪に苛まれる。
 いずれにせよ、私が嘘を吐いたのには変わりないのだから。
 だか、いきなり人を担ぎ上げるような男には適当な対処だろう。
 女生徒向けの護身術の講義に出た『正当防衛』というやつだ、うむ。
「ふん、だらしのない。特進学級が聞いてあきれるぞ」
「それで妊婦って方があきれるっつーの……」
「妊婦と呼ぶな、大莫迦者がっ」
 戯言には突っ込みをひとつ付けて。
「そういうわけだから精進するよーに! お、おーほほほ」
 私は足早に、しかしあくまで優雅に、その場を立ち去った。
 倒れてる奴を蹴り上げる女がいるか畜生、などと言う声は空耳だろう。
 嘘を明確に訂正せぬまま放っておいてしまった事に気付くのは、
翌朝に女子寮門の前で土下座をする恋次を見るまでの時間がかかる。
 この時はただ穏やかに流れていたように思う。
 いつの間にやら茜空。
 川は何事もなかったように、穏やかにきらきらと輝いていたのだった。
 
 
御題は[ 恋ルキ応援企画部 ] よりお借りしました。感謝!


 
 
 
初恋ルキ創作は山田花太郎誕でした。
初っ端からこんなネタかよ。こんなネタです。
時期ずれてるとか、頼みますから仰るな。
気軽にブラつけるのは学院入学〜ルキア養子縁組の間か、
尸魂界編が終ってからかなあと漠然と思っての時期設定ですが、
その頃にエイプリルフールって……。
ていうか魂魄で子作りも何も……。(致命的)
母体を心配する恋次と、色々棚上げして鉄拳なルキアを書けて満足。

< 2006.06.01 up >
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