よしゅうふくしゅう

 
 ティアがその部屋を訪れた時、彼はいなかった。
 察するに宿の湯を利用しているのだろう。
 しかし、部屋はもぬけのからというわけでもなく、彼を主人とする子どものチーグルがいた。
 子チーグル、ミュウは主を護らんと雄々しく仁王立ちしてティアを迎えた。
 わけもなく。
 来訪に気付かないのか、背を向けて何やらぶつぶつ呟いている。
 もしも自分でなく刺客であれば危険な行動だとティアは軍属として判断した。
 しかし丸みのある大きな耳を揺らしている様を見ていて改める。
 刺客とてあまりの可愛さに手出しできまい、と。
 湯を浴びているらしい主人に対してまで有効な術かは分からないが。
 
「ミュウ、何をしているの?」
「わあっ! ティアさん!?」
 ミュウはビヨヨンと飛び上がり、華麗に着地した。頭から。
「あら、ごめんなさい! 驚かせてしまったわね」
 ひっくり返った亀さながら短い手足をじたばたと動かすミュウをティアは慌てて助け起こした。
「みゅうう〜…。平気ですの。チーグルは強いんですの」
 えへんと胸を張る姿すらティアにとっては悩殺ポーズに等しかった。
 理性が飛んだり気絶するのは避けたい。どうにかして気を紛らわさなくては……。
 と、ミュウの傍らにノートが一冊。
 ティアの片手に納まる小さなサイズではあるが、ルークのものと似ている。
「あ。これはミュウの日記なんですの!」
 ミュウにとっては両手にも余るサイズ。
 ルークと同じものを持っているのが嬉しいのか、満面の笑顔で耳を上下させている。
 その可愛らしさに、ティアの切れ長な目も細くなる。
 自慢げにノートを差し出しているということは。
「読んでもいいの?」
「はいですの!」
 日記とはそういうものであったかとの疑問もあるが、何が書いてあるかも気になるので置いておく。
 まだ書き始めて数日というところらしい。
 ティアは壊れ物でも扱うかのようにノートをそっとめくった。


○月△日 はれ
 きょうはごしゅじんさまにブタザルと38かいいわれたですの。
 ごしゅじんさまにいったらまたブタザルといわれて39かいになったですの。
 ブタザルというのはごしゅじんさまがつけてくれたなまえですの。
 ブタザルってどういういみですの? しらないですの。
 ティアさんのはんたいをおしきるくらいだから、きっとすてきないみがあるにちがいないですの!

○月□日 くもりのちはれ
 けさのごはんはタタルそうでしたの。
 ごしゅじんさまがきてうまいのかときいてくれましたの。
 あさつゆにぬれたタタルそうはぜっぴんですの!
 そういったらごしゅじんさまはミュウのくさをくちにいれて、すぐにはきだしちゃったですの。
 こんなものをたべられるならナタリアのりょうりもたべれそうだな。
 かおをミドリイロにしたごしゅじんさまはそういったですの。
 ごしゅじんさまもミュウみたいにタタルそうのあじをわかるようになりたいですの?
 だいじょうぶ! ごしゅじんさまならすぐにくさのあじになれるですの!
 そういったらブタザルとよばれてくびをしめらられたですの。
 しょくごのうんどうですの?

○月×日 くもり
 きょうはごしゅじんさまに5かいけられて3かいなげとばされたですの。
 3かいめになげられたときはモンスターのすにはいってしまってかなりスリリングだったですの。
 かんいっぱつでごしゅじんさまたちがたすけてくれたですの!
 ライフボトルをつかったごしゅじんさまにへんなところにいくなとふみつけられたですの。
 あそんでもらうのもたいへんですの。

○月▽日
 …………


「ティアさんティアさん」
「え? 何?」
 くいくいと袖を引かれて日記から顔を上げれば、ミュウは心配そうな面持ち。
「眉間にしわが寄ってるですの。スペルが間違っていたですの?」
「いいえ、合ってるわよ。難しい言葉もあって……その、すごいわ」
 続きを読む気にもなれず、閉じたノートをミュウに返した。
 コノウラミハラサデオクベキカと書かれているのではないかという予想などしたくない。
「えへへ、フクシュウは欠かさないですの」
 誉められて、とても喜んでいるように見えるミュウ。
 その一方でティアは、
「ミュウは勉強家なのね。えらいわ」
 と言うのに、頭の中で『復習、復習』と繰り返さねばならなかった。

 ガチャリと扉が開くまでティアは人の気配に気付かなかった。
 軍人失格と元教官に叱咤されるかもしれない。
「たっく、狭いし石けんは安物だし、最悪だぜ。早く屋敷に帰りてぇー…」
 振り返ると、ルークが濡れた長い髪を拭き乾かしながら入って来た。
「うわっ! ティア!? どうしてお前がいるんだよ」
「どうしてって……」
 そういえば用事があったはずなのだが何であったか。
 口元に手を寄せて考えるが思い出すまでには到らない。
 むしろ驚く様が主従でそっくりで(さすがに顔面着地はなかった)少々妬けてしまう。
「どーせ文句でも言いにきたんだろ? うっぜー」
 嫌味ったらしい口調は安っぽいあからさまな挑発。
 文句を言われる心当たりがあるのにその態度はどうか。
 しかしティアは立腹せず静かなまま、ルークとミュウを交互に見た。

 そしてルークの顔をまじまじと見つめて警告した。
「……月夜だけと思わないことよ」
 堅いティアにしても珍しいほど深刻な声音であったのだが。
「はあ?」
「みゅ?」
 主従は同じように首をかしげるだけだった。

 夜襲、復讐に用心あれ。


オワリ


 
 
 
 
ミュウも字をかけるんだなあと感動してのネタ。(感動はどこへ)
リングがないと会話はできないけど、筆談はできるってことですよね〜。

< 2008.09.14 up >
TALES OF THE ABYSS © namco
Top