[Title05:酒は百薬の長]
喉が渇いて、水を飲みに行った。
そこには同じような境遇なのだろう先客、パステルがいた。
空になったグラスを両手で持ったままでため息。
声をかけてよいものかと躊躇していると彼女が振り向いた。
よかった。笑顔だ。
「ああ、ノルじゃない。ノルも眠れないの? お水飲む?」
喉が渇いていただけだが結果的には眠れないということだろう。
頷くと、パステルは持っていたグラスに水を汲んで手渡してくれた。
「洗ったから」と言うところをみると、水を飲んで、グラスを洗って、
それでもまだここに留まっていたのか。
自分と同じどころか、よほど眠れずにいるようだ。
パステルは再び物憂げなため息を吐いた。
水の注がれたグラスを見て、それに思い当る。
「まだ帰って来ないのか?」
誰がと言わなくても通じたようで、パステルははっと顔を上げた。
「そうなの。クレイも一緒だし、リタがいるし、大丈夫だろうけど」
パーティ全員そろって猪鹿亭で夕食を食べたのだが、
トラップと、彼に誘われたクレイはそのまま残って飲むことにしたのだった。
日付の変わりそうな時間になる今もまだ。
「飲みすぎよね。百薬の長って言うけど、百個のお薬を飲んだ方がいいんじゃないかしら」
腰に手を当てて、大仰に怒っているようにしてみせる。
実際のところは心配しているのだろう。
猪鹿亭の2人を、特に今夜はトラップを。
今日無事に終えた品物を運ぶお使いクエストなど何度も引き受けたのと変わらず手馴れたもので、
最初の交渉も道中のモンスター遭遇も、全く問題はなかった。
ただ、届け先の言葉以外は。
最初にクレイが出るとにこやかに応対していたというのに、品物を持っていたトラップが差し出すと、
彼をじろりと見た受取人は眉根を潜めた。
「なんだ、シーフがいるのかい。これ、今調べさせて貰うよ。宝石でも取られちゃたまらないからね」
確かに品物は小さいながらも宝石のついた高価な品物だった。
その場で品物の状態を確認するのも当然のことである。
しかし、その受け取り人はパーティに盗賊がいただけで、
トラップが盗賊なだけで態度を急変させたのだ。
クレイへの態度が温和で印象がよかっただっただけにあからさまだった。
青ざめたパステルがひどいと呟いたのも当然だった。
もちろん、やられっぱなしのトラップではないので仲間の援護の隙を与えない何倍もの毒舌でかえし、
受取人から運賃の上乗せまでふんだくったのではあったが。
帰りの道中、本当に盗んでやればよかったなどと心にもないことをトラップはつとめて明るく言った。
そして盗賊=ドロボウという誤解はまだ多いから仕方ないのだと肩をすくめた。
仕方なかろうとも納得できるものであるはずがない。
仲間である自分達も、誰より彼自身も。
猪鹿亭で別れる頃のトラップには酒でも飲まねばというやるせなさがあったように思う。
だからこそクレイも付き合っているのだろうし、パステルも心配で眠れずいるのだろう。
パステルがいれてくれた水をありがたくもらった。
喉の渇きは癒えたが、まだ寝に戻る気にはならない。
「パステル、まだ起きてる?」
グラスを引き受けようと手を出してくれたパステルはきょとんとした。
「しばらくは起きているけど……どうして?」
「迎えに行って来る」
もしかしたら二人とも酔い潰れて帰れなくなってるかもしれない。
それにパステルも帰ってきたら安心して眠れるのではないだろうか。
しかし手渡したグラスを受取ったパステルは首をかしげた。
酔っ払いを迎えに行くのと彼女が起きていることとの関係が分からないというように。
「酒よりも薬よりも、パステルの笑顔が一番効くから」
目を丸くしたかと思うと面白い冗談を聞いたように吹きだした。
「あはは。熱いお茶でも用意しておくわ」
表情が豊かなのは魅力のひとつだ。
パステルは笑い飛ばしたけれど、何よりも効果があると思う。
それは今日のトラップには格別に。
この笑顔で迎えられたら元気になるだろうと確信して、猪鹿亭に向かった。
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